『日本文化における悪と罪』八(閑人亭日録)

 中村雄二郎『日本文化における悪と罪』新潮社1998年初版「第二部 第八章 〈場所の論理〉と〈演劇的知〉」を読んだ。

《 しかし場所とは、右に見てきたもの──〈存在根拠や基体としての場所〉──だけに尽きない。少なくともそのほかに、〈場所としての身体〉、〈象徴空間としての場所〉 、および〈言語的トポス〉の三つがある。
  〈場所としての身体〉についていえば、それは〈存在根拠としての場所〉と関わり、一部重なり合っている。というのは、意識的な自我主体は、実際には身体という 場所を基本とすることなしにはありえず、しかも、そこに成立する身体的実存によって、空間的な場所は逆に意味付けられ分節化されるからである。もちろん、〈場所と しての身体〉というとき、その身体とは精神と実体的に区別されたものではない。活動する身体の自己意識が精神にほかならない。われわれは身体を持つのではなく、 身体そのものを生きている。そのような意識に対して、われわれの身体は基盤になり、したがって地平を形づくるのである。 》 271-272頁

《 このような観点から顧みるとき、日本の能舞台は、目立たないかたちで実に絶妙の仕掛けと構造を持っている。 》 275頁

《 このように能舞台の仕組みは、外的には一種の〈なにもない空間〉であり、一見したところひどく素っけないために、それが豊かな意味発生の場であることが見逃され やすい。 》 276頁

《 しかし、もっと重要なのは、能舞台では、一切の表現が演者の身体の動きだけで描き出されることである。 》 276頁

《 能の演技が演劇空間を外側から造形するのではなく、関係性のうちに空間を切りひらくことをよく示しているのは、のちにふたたび触れるが、能の基本技としての 〈指込み、開き〉である。そこでは、前後・左右の四方から、無限の彼方に拡がる力によって引っ張られ、それらの力の均衡のうちに演者の身体ははじめて存在するのである。  》 277頁

《 このように能の演技の特質は、西洋の演技の基本をなすミメーシス(行動の模倣)にもとづく造形によるのではない。それは、能舞台という絶妙な空間において、場の 緊張のうちに身体によって空間を切りひらき、意味を発生させることにある。 》 277頁

《 それらの場所のうち、もっともわかりやすいのは〈象徴空間としての場所〉であるが、そのようなものとしての舞台空間は、能においては、徹底的に俳優の身体のうちに 内面化されている。また、それと同時に、緊密に俳優の身体の相関者として成立している。 》 277頁

《 能舞台という空間における方向性の持つ濃密な意味が、(観世)寿夫のまなざしの持つすぐれて官能的な表現力と相まって、比類のない世界を現前させたのである。 》  280頁

 能、能舞台についての論述に、覚醒。ついに出遭った。上記引用から味戸ケイコさんの絵の魅力をやっと半分ほど解き明かせるかな・・・ワクワク。

 降りそうにないので昼前、自転車で近場の湧水を見て廻る。源兵衛川はやはり増水中。白滝公園の石橋周辺の土のうは増えている。でも水は溢れているわあ。建物の間から お掃除の水が流れているのかと思ったら、出水だった。いろいろなところで水浸しになりそう。泥水ではなくきれいな湧水だからまあ、いいけど。

 ネット、うろうろ。

《 池の底がむき出しだった楽寿園の小浜池 水位が過去最高更新  長雨などの影響か 静岡・三島市 》 静岡朝日テレビ
https://news.yahoo.co.jp/articles/94eb920ffcdf77e09b00efdf1718008cac8860a7

《 三島市小浜池の水位。本日までの分をアップデート。 》 Yusuke Suzuki
https://twitter.com/Y_Suzuki/status/1287043222041059328

《 小浜池の水位って、観測値0cmの時に池の一番低いところ、それ以上のプラス水位になると池の中に水面ができる。池の水位が上がってくると 川に水が流れ出すので、マイナス水位の時よりも水位上昇が鈍化する傾向にあります。池の堰を開け閉めしたりする影響もあると思う。 》 Yusuke Suzuki
https://twitter.com/Y_Suzuki/status/1287044886751883264

《 なので小浜池の水位を三島付近の地下水位の傾向を見るための代表にするのはあまりよくないのです。きちんと地下の井戸で測っているものが良い。 データが公表されているのは伊豆島田浄水場の地下水位。 》 Yusuke Suzuki
https://twitter.com/Y_Suzuki/status/1287045480220733440

《 伊豆島田浄水場の地下水位と小浜池の水位の比較。伊豆島田の水位が伸びていても小浜池の水位上昇が頭打ちになる。地下で測っている伊豆島田と、 地上に水位が出ちゃう小浜池の違い。・・という発表を今年のJpGUで高校生がしてくれました。 》 Yusuke Suzuki
https://twitter.com/Y_Suzuki/status/1287046478083457025

《 この前ツイートした8マン初版1150円で買ったやつ届いたんやけど

  4巻と5巻がノリで貼ったみたいな謎仕様になってる

  これはこういう物なの?
  分かる人いる?詳しい人ヘルプミー 》 あおい@懐古漫画虫
https://twitter.com/Oliver_3922/status/1287701337417768960

《 あくまで予想ですが、

  新書版コミックスの発行部数が数百部から数千部・数万部と伸びるに従い、

  コミックスの仕様と大量生産ルールが現在のような形に固定化されたのではないかと推測します。

  ですので、奥付が別紙貼付けなのは、秋田書店サンデーコミックスの初期仕様なのではと。 》 しょぼろ納豆
https://twitter.com/ntrNeto/status/1287824742167097347

《 新書判コミックの先駆けだったコダマプレスのダイヤモンドコミックスも奥付は別紙添付だったと記憶します。
  増刷時に紙型を作り直さなくて済んだからでしょう。 》 ご隠居さん
https://twitter.com/Oh_My_Buddha/status/1288049587245047808

 本棚の水木しげる『墓場の鬼太郎』コダマプレス。別紙添付、昭和41年7月5日発行。水木しげる『忍法屁話』コダマプレス。別紙添付、昭和41年5月10日発行、 発行日に二本の訂正線、下に昭和41年12月8日のハンコ押し。水木しげる『猫又』朝日ソノラマ、昭和41年12月10日発行、ページに印刷。

《 貴重な資料を読んだ。
  2012年に参院自民党が出した
  「民主党政権の検証/迷走の3年を総括」
  ▼法律・手続きを無視した人事
  ▼総理や閣僚の独断・思いつきを
   止められない体制
  ▼情報の隠ぺい体質(都合の悪い情報は隠す)
  ▼総理や閣僚の不祥事の続出
  ・・・だそうである。 》 東京新聞労働組合
https://twitter.com/danketsu_rentai/status/1287831732167651329

《 追加配布される8000万枚ものアベノマスク。悪質なのは既に発注済みで湯水のように注ぎ込まれた税が現物に化けており、もう手遅れという点。 あくまで誤りを認めず自分達のメンツを保つ為、本来なら赤字の医療機関などに使える予算を浪費。ここまで犯罪的な政権には、中々お目にかかれない。 》 異邦人
https://twitter.com/Narodovlastiye/status/1287919730750234625

《 「布マスク 今後さらに8000万枚を配布」ってんだけど、安倍さんの強い恨みを感じ、背すじが寒くなるね。アベノマスクと散々に嗤われたから、国民への復讐なんだ。 安倍さんは在庫が底をつくまで配るよ。人の嫌がることは徹底的にやるんだ。現に辺野古でも嫌がらせを続けているし、通底してると思うよ。 》 立川談四楼
https://twitter.com/Dgoutokuji/status/1287960061633941506

《 すごいね。さすが「危機管理に強い」首相だわ。

安倍晋三首相が半分夏休みモードに入っている。27、28両日は午後から官邸で執務し、28日の定例閣議も見送った。別荘静養はコロナ次第 》 清水 潔
https://twitter.com/NOSUKE0607/status/1288358785040277504

《 「それと、GOTOキャンペーンというのは、私への、何かの符牒か」(デュークTOGO) 》 buu
https://twitter.com/buu34/status/1288284886080528384

《 I’m confused 》 CCTV IDIOTS
https://twitter.com/cctvidiots/status/1285248597991120896

『日本文化における悪と罪』七(閑人亭日録)

 中村雄二郎『日本文化における悪と罪』新潮社1998年初版「第二部 第七章 歴史的形成作用と芸術 ──西田幾多郎のポイエシス論をめぐって」を読んだ。

《 したがって西田では、〈行為的直観〉は、これを直観面からとらえるときには共通感覚になり、逆に行為面からとらえるときには論理的思惟になるのである。それゆえ、 共通感覚は行為的直観の内在的かつポイエシス的な根拠だということになるのである。
  ここに西田によって考えられている共通感覚と行為的直観との関係は、私自身の考えている共通感覚と〈パトスの知〉との関係にきわめて近い。なんとなれば、私のいう 〈パトスの知〉とは、共通感覚(やはりアリストテレスに由来するセンスス・コムニース)を自己と他者との間の相互的な行為面で捉えなおしたものだからである。それは、 人間の劇的行動をパトス的行動(身体性を帯びた受苦的行動)としてとらえるとき、そこに見られる知の在り様である。すなわち、他者との関係のなかで、他者からの 働きかけを受けつつ、身体的に行動する、あるいは活動する身体を通して他者や世界を知覚する、行為的な知の在り様である。 》 259頁

《 そのようなパトスの知のうちに、操作的な近代の知が見落としたり、排除したりしてきた人間の知の豊かな可能性があることに気がついたのである。 》 259頁

《 ところで、先に見た西田の共通感覚と行為的直観との結びつけ方であるが、それには疑問な点がないわけではない。なによりも、行為的直観の超越極あるいは超越面が 論理的思惟としてとらえられた上で、それが行為とほぼ同一視されているからである。たしかに行為的直観の超越面は、問題を切断的にとらえつつ或る立場を選びとるときに 〈論理的思惟〉と結びつき、その意味で論理的思惟は行為あるいは実践にも結びつくだろう。だが、それは論理的思惟がなによりも現実界(実在界)の形相にかかわるから であって、ただちに行為や実践とは結びつかないし、結びつけるべきではない、と私は思うのである。 》 260頁

《 西田が行なっているように、直観や共通感覚と論理的思惟とをすぐに〈絶対矛盾的自己同一〉によって結びつけるべきではないと思うのである。 》 261頁

《 最後に、私自身は、西田のとくに〈場所の論理〉や〈行為的直観〉の考え方からは多くを学びながら、演劇モデルにのっとった〈パトスの知〉から、それを歴史的に 基礎付けつつ、今日の新しい一般理論としての〈臨床の知〉へ、そしてさらに、相互作用をリズム振動の共振によって基礎付けようとした〈汎リズム論〉の方向に進んだこと を付け加えておく。〈汎リズム論〉の立場からは、芸術的表現も、静的なかたちから生命的なものを表現する動的なかたちへ、静的なかたちから根源的な生命リズムの (肯定的あるいは逆説的な)体現への方向でとらえられている。 》 261-262頁

 東京新聞、「太郎の国際通信 米国の反フェミニズム」の結び。

《 カリフォルニア州バークリー市では、条例で「労働力」を意味する「マンパワー(男の力)」や「マンホール(男の穴)」という言葉の使用を禁止した。それぞれ 「ヒューマン・フォート(人間の努力)」「メンテナンスホール(保守用の穴)」に言い換えるのだとか。 》

 そうかあ、マンホールって男の穴か。

 買いものついでに源兵衛川上流部を見る。おお、まだ水量が増している。知人のお店は床下から浸水。すぐ裏が湧水池。ぼこぼこ湧き上がっている。初めて見た。

 ネット、うろうろ。

《 私のお勧めスポット源兵衛川は、水位が高すぎて飛び石が埋まり通行止めになってましたwwww 》 MiMi
https://twitter.com/MiMi_msm/status/1287271635729358848

《 もう一つの楽しみだった源兵衛川のせせらぎ散歩も、川の中に設けられた遊歩道が完全に水没した箇所が結構あったので、 通れそうなところだけサンダル+素足+スカートで渡ってきた
  余裕があれば楽寿園にも行ってみたかったけど、ちょっと疲れてきた&時間が押していた&また大雨とかち合ったので断念したorz 》 れおん
https://twitter.com/lemon_soda79/status/1287258063779504128

《 三越伊勢丹宛公開質問状 quehouxo 》 note
https://note.com/quehouxo/n/n29efc380ede2

《 株式会社三越伊勢丹回答書|quehouxo 》 𝙃𝙤𝙪𝙭𝙤𝙌𝙪𝙚(邱和宏)
https://twitter.com/QueHouxo/status/1287314788758904832

《 【三越・公開質問状の回答書を読んで】シエニーチュアン  》 シエニーチュアン
https://twitter.com/shieneychuan/status/1287669646028468227

《 母さん、僕のあのマスク、どこへ行ったんでしょう。そうです、税金466億使って誰も喜ばなくて、それで利益が出た人たちだけが喜んだという、アベノマスクですよ。  》 マキエマキ@自撮り熟女
https://twitter.com/makiemaki50/status/1287581964992573440

《 なぜ4ヵ月も経って検査の状況が変わらないのか、保健所は条件をつけるのか。東大には何万件の検査能力があるのに何故やらせないのか。すぐに国会を開け、 追求し答えて貰わなきゃいけない事は山ほどある。言葉にすれば、それはどんな形であれ問題化し動き出す。それが国会の機能ではないのか。 》 ラサール石井
https://twitter.com/lasar141/status/1287780686795902977

《 覚えているだろうか?
  無責任な安倍晋三の言葉を、この姿が全てを現している。

  イタリア人記者ピオ・デミリア
  「失敗したら、どう責任を取りますか?」

  安倍総理大臣
  「あの…これは…例えば…最悪の事態になった場合、私が…責任は取ればいいというものではありません」 》 HIRO
https://twitter.com/cooo55/status/1287133728901275648

《 日本の政局の先行きがまるで見えないのは「政治史的に何の重要性もないファクター」によって状況が激変するからです。ヘーゲル主義者は「現実化したものには 現実化するだけの根拠がある」と考えますが、日本の政局において現実化するのはしばしば「それが現実化するとは誰も思わなかったもの」です。 》 内田樹
https://twitter.com/levinassien/status/1287678929499643905

《 旅行に行け。(7/23GoToキャンペーン
  会社に行くな。(7/26テレワーク7割要請
  旅行先で働け。←イマココ (7/27  》 加藤郁美
https://twitter.com/katoikumi/status/1287640863942643712

《 えぇ… 》 MSG
https://twitter.com/zax5m3/status/1287208596044840961

『日本文化における悪と罪』六(閑人亭日録)

 中村雄二郎『日本文化における悪と罪』新潮社1998年初版「第二部 第六章 〈場所の論理〉の彼方へ(パリ討議版)」を読んだ。

《 制度は、固有の法則あるいは論理を持ってきます。それは、人間の意志によって設定されたものですが、ひとたび設定されると、規範として現実を組織し物質的な裏付け を持つために、どうしても惰性的な性格を帯びるようになる。それゆえ、制度の働きを十全に保つためには、たえず人びとによって問いなおされ、人びとの意思によって 支えられていることが必要です。人びとがそのような努力を怠るとき、制度は人間に対して単に客観的、外在的存在としてではなく、疎遠な拘束的な力として、疎外的に働く ようになる。つまり、制度的現実は、疎外的客体性ともいうべき在り様をしているので、疎外的客体性の認識を媒介とすることなしには、とらえ得ないのです。 》 214頁

《 しかし、それにもまして、私が感銘を覚えたのは、二十世紀の最初の三十年間における量子論の発達、とくにその後の量子場の理論への展開において、実在についての 見方が根本的に変化したことです。 》 217頁

《 さらに、いまやミクロの世界つまり物質の究極の実在は、相互作用する場の広大な活動舞台と見なしうるのです。これまでのエネルギー対物質、粒子対場という二元論が 解消されて、一切が相互作用する量子場であると見なされるようになりました。(中略)その場は真空ではあるが空虚ではなく、実際にそれは、自発的に創成と消滅を 繰り返す粒子と反粒子からなっていたのです。何もないように見えるのは、激しい量子の創成と破壊がきわめて短時間かつ短距離のうちで行なわれているからでした。 》  217頁

《 大宇宙がこのようにニュートン的な絶対空間から有機的コスモスへと回帰したことは、今日、場と場所とを考察する上でも、並々ならぬ意味を持っています。 》 218

《 また、そのような宇宙観をもたらすきっかけになった新しい真空観の真空は、右に見てきた内容からすれば、真空(vacuum)というより、むしろ有を算出する〈無の場〉 と言った方がいいものです。 》 219頁

《 無の場所や絶対無の場所を、無限の可能性を持った場所、根源的な出来事の生起する場所、さらには複雑性を持った動的システムとして捉えなおすことです。 無限の可能性を持ったシステムは、その可能性の高さのゆえに透明化して、かえって無に見えるのです。論理的には無の場所と言わざるを得ないのです。 》 219頁

《 そして私が〈述語的世界〉というとき、なにより、この世のさまざまな拘束、束縛、約束事、制度、法則などによって支配されず、そこから解き放たれた世界、カオス的 でもあれば欲動でもあり、無意識的でもあるような世界を指しています。しかし、それは、まったく無垢の世界ではなく、とくに言語とのかかわりのうちで、その原初性が あらわれるのです。(中略)ただ、量子論の場合には、その理論的、実験的な成果そのもののうちに、存在の始原の在り様をうかがわせるものがあるのです。 》 222-223頁

《 生命的なものと非生命的なものとの断絶は、近年の科学・技術の飛躍的な発達にもかかわらず、肝心なところでは、たいへん乗り越えがたいものがあります。 》 226

《 私が〈振動〉という現象と概念とに注目したのは、なによりもそれが右の断絶を埋め、異なった諸領域の問題を統一的にとらえる働きを持つものと考えたからです。 》  226

《 しかし、単独の、孤立したリズム運動から生命活動や精神活動にかかわる複雑な、さらには高次なリズム振動に至るためには、もう一つの重要な要因あるいは原理が必要 です。それは、非線形振動同士の引き込み(entrainment)であります。 》 227頁

《 この振動とリズムへの私の着目のうち、振動への着目が、《実在とは場の振動である》とする量子論的な場のとらえ方と合致することは容易にわかります。しかし、 それだけにとどまりません。この振動とリズムへの着目は、一見量子論的な場とは結びつきがたいようにみえる存在論的な場所の何たるかをとらえる上にも役立つのです。 それというのも、西田(幾多郎)のいう無の場所とは、単に何もない場所ではなく、無限にリズム振動が立ち現われうる場所にほかならないからです。 》 227-228頁

《 しかし、場所とは果たして、自立してそれだけで存在するものでしょうか。(中略)そのとき必要になるものは、それを成り立たせる拘束条件であり、場所を限定する ものとしての制度であります。そして制度による場所の限定には、大別して、外部からなされる場合と内部でなされる場合とがあります。 》 228-229頁

《 そして、このように二種類の制度(拘束条件)がありうるのは、場所がそれ自体でだけ存在するものではなく、外部との関係において成り立っているからです。そして、 自己組織系というのも外部との関係のひとつの在り様なのです。 》 230頁

 雨の合間を縫ってお買いものへ。源兵衛川最上流部の縁台がとうとう半分水没。一昨日は縁ぎりぎりだったけど。川べりの奥さんは、家の井戸が吹き出してきた、と。 生れて初めて、ということは戦後初めてかな。
 そういえば、アベノマスク、届かない。嫌われたか。

 ネット、うろうろ。

《 もし「開く」方向の可能性を考えるとしたら、(3年程前に某大学院大学での講義で提案したが)「アート」「アーティスト」という言葉を一旦やめ、「ものを作る人」 「物語を作る人」「場を作る人」「関係を作る人」を使ってみてはどうか。これはいろんな実践をつなぐ新しい地図を描くための言葉。 》 大野左紀子
https://twitter.com/anatatachi_ohno/status/1287549493383032834

《 我が国のコロナ第2波対策が「第2波と呼ばないこと」だとは思わなかった。 》 ナスカの痴情ェ
https://twitter.com/synfunk/status/1287270945204236288

《 昨日、千駄ヶ谷神宮外苑で行われた「オリンピック粉砕デモ」、確認できただけでも私服(=公安)が85名以上。加えて所轄の制服警官と機動隊員が多数 (途中で警視庁の腕章を装着している者もいるように、動画に写っているのは全員警察)。せいぜい30名程度のデモに、なぜここまで過剰警備を行うのか。 》  Galbraithian
https://twitter.com/galbraithian999/status/1286855028175601672

《 カミングアウトをきっかけに人々の思いが交錯する小説のゲラを読んだ。最初読むのが辛かったが、やはり気になって、最後まで読んだ。読んでよかった。 色々考えた。だがまず思うのは、カミングアウトによってどうしてドラマが生まれなければならないのかということだ。そのこと自体がもう辛い。 》 千葉雅也
https://twitter.com/masayachiba/status/1287356615633428481

《 インド5000年の英知を見よ 》 海外の万国反応記
https://twitter.com/all_nations2/status/1287232444995756034

『日本文化における悪と罪』五(閑人亭日録)

 中村雄二郎『日本文化における悪と罪』新潮社1998年初版「第五章 恥の文化と非寛容」を読んだ。

《 民族的・宗教的対立の、つまりは非寛容のなによりの怖ろしさは、どんなに小規模の小競り合いであっても、最終的には自分の死に世界を道づれにするおそれがある 精神構造である。 》 149頁

《 天皇制はしばしば〈主体なき権力〉あるいは〈空虚な中心〉と呼ばれることがある。それは、天皇制においては権力が主体的なものとしては表われないからであり、 実体的な中心をなさないからである。しかし、その同じ在り様を、いっそう適切には〈場所的権力〉と呼ぶべきであろう。なぜならそれは、場所の持つ根底性と捉えにくさを ともにそなえているからである。 》 152-153頁

《 他方、帰属と表裏をなす〈排除〉についていえば、排除において一般に、場所はいっそうその隠された性格をあらわにする。というのも、場所はおのずとそれに帰属する 者と帰属しない者とを分かつからである。 》 153頁

《 この場合、場所に帰属しない者というのは、場所の内部における支配的な者への犯行者や敵対者のことではない。(中略)場所の外部に決定的に追いやられるのは、 そのルールを認めない者たちなのである。
  しかもその排除の際には、ルールを認めない者たち、否定する者たちがもともと存在しなかったかのように、振舞われる。 》 153頁

《 先に私は天皇制について〈場所の権力〉という性格づけを行なったが、それはさらにいえば、場所的な帰属を要求する権力、反対する者たちを一定の場所(この場合には 社会そのもの)から排除するような権力のことである。だから、支配的な価値への帰属や従属はソフトな仕方で行なわれても、その反面において、天皇制にかかわる 支配的価値に対して根本的な批判でも行なうと、なんと、《そういう人間は、日本から出て行ってほしい》などと明言する者までが出てくるのである。 》 154頁

《 いや、もともとわれわれ人間の個体あるいは生命体は、受苦的な(パトス的な)、ヴァルネラブルな存在である以上、世界や外界を自己の光によって照らし出す以前に、 すでになにものかから働きかけを受け、その光によって逆に照らし出されているのである。 》 「付論1 いま宗教を問う」 166頁

《 ちなみに、〈関係の解体〉を悪と見なす観点からすれば、嘘は毒物と双璧をなす危険物である。というのも、嘘は人間同志の信頼関係を解体させ、毒物は生命体 (人体組織)を解体させるからである。 》 「付論2 オウム真理教と悪」 178頁

《 それは、日本人がもとっとも好む倫理的な徳目である〈誠〉の特色にかかわる。すなわち、儒教とくに朱子学の〈敬〉の思想に比べると、敬が厳密な根拠づけや客観性を 重んじるのに対して、誠がただ主観だけによって成り立つ徳であることである。〈誠〉を貫くことによってひとは嘘をつくこともできれば、人を殺すことだってできるのだ。 ここに、単なる〈純粋さ〉のもたらす恐ろしさがある。 》 「付論2 オウム真理教と悪」 179頁

《 しかし、よく考えてみると、おそろしいことに、このような〈純粋で無垢な〉信仰心と〈無責任の体系〉および無辜の人びとの殺戮とは共存しうるのではなかろうか。 私がそのように考えたのは、先頃たまたま儒学とくに朱子学の日本への受容の歴史を調べていたら、もともと客観性を重んじる朱子学の〈敬〉の思想が、日本に入ってくると 主観的・主情的な〈誠〉一辺倒にになり、結果としては、自己の主観的な誠を貫くために嘘をつくことも人を殺すことも可能になることを知ったからである。 》  「付論2 オウム真理教と悪」 181頁

《 しかし、ひとが、ひとたび先に述べたようなクライシスに陥るとき、これまで自然的な生命力の発した光とエネルギーによって照射されていた眼前の世界は、実効性を 失い、無意味になってあ¥しまう。そのとき、生命力の衰退によって、自分を中心に秩序立てられていた世界が解体し、無意味化するのである。そして、おのずとわれわれの 自我は、存在根拠を失って、自己の足元に底無しの深淵を見ることになる。一般に宗教的な意識の出発点とされる〈虚無の自覚〉とは、このことにほかならない。
  しかし、その虚無の自覚とは、より立ち入っていえば、人間の自然的な生命力がみずから発する光とエネルギーを失って、反対に自分が他からの〈逆光を浴びる〉ときに 生ずるものなのである。 》 「付論3 宗教と悪の問題」 188頁

 午後四時、豪雨が収まって晴れ間がのぞく。傘を持たずに買いものへ。スーパーから出るともう暗い雨雲。増水した源兵衛川を見に行くのを中止。帰宅すると雨。やれやれ。 それにしてもよく降る。

 ネット、うろうろ。

《 オリンピック開会式に合わせるために体育の日を無理くり名前変えて持ってきて、10月の休みがなくなった代わりに、梅雨も明けずどこにも行けない間の抜けた連休が 爆誕したわけだが、これ来年もやるのかな? 》 大盛有閑
https://twitter.com/oomryknd/status/1287249671421702147

《 メキシコの高地で3万年以上前の石器とみられる石が大量に見つかる。人類がアメリカ大陸に進出したのは、地続きだったベーリング海峡を渡った約1万5千年前とする 定説に真っ向から挑む大発見。ネイチャー誌が特集しています。いつだれがどうやって……謎は深まります。 》 小林哲
https://twitter.com/kbts_sci/status/1286510019219877888

《 ピンクレディーのB面の曲って今振り返ると大人の匂いのオシャレポップスって感じだった。「レディーX」「キャチ・リップ」はA面の曲よりも好きだった。 》  マキエマキ@自撮り熟女
https://twitter.com/makiemaki50/status/1286926604623425537

《 名刺の出し方も知らない大学生、というくだらない話があったが、これまでで一番カックイーと思ったのは、ずらりと編集者に囲まれ名刺を差し出された浅田さんが、 一瞬で「要りません」と立ち去った場面だったな。逃走論。 》 千葉雅也
https://twitter.com/masayachiba/status/1286860443315625985

《 加えて鑑賞にも「訓練」は不可欠。それはデフォルト・モード・ネットワークによって創作された作品を、デフォルト・モード・ネットワークでもって、 つまり「ボーッと鑑賞する」ための技術。このとき「何が表現されているか?」とか「作者の意図は?」とか「どう感じるか?」などと訊いてはならない。 》 中島 智
https://twitter.com/nakashima001/status/1286967279503077376

《 まあ、前衛アート的なもので揺さぶられるだけ揺さぶられるのは迷惑だ、というのは、端的にどうしょもないよね。問いかけに対して解決もほしい、って、 解決は自分で考えろ、脳ミソ絞れって話でしょう。 》 千葉雅也
https://twitter.com/masayachiba/status/1287205294544756736

《 日本の「現代美術」が特定の人々のゲーム=政治でしかなくなっていることは鋭敏な人には分かっていたはずで、そこに「入会」するために「前衛」という、 本来マルクスをきちんと読み込んでいなければ出てこないタームをカードとしてだけ使っていた人々に、今更失望するのもナイーブでは。 》 永瀬恭一(一人組立)
https://twitter.com/nagasek/status/1287141843273043968

《 ぼくはチャラチャラしてるように見えるかもしれないが10代の頃からずっと美術を一生懸命勉強してきた。今の結論としては、美術なんか一旦滅びればいいと思っている。  》 松下哲也
https://twitter.com/pinetree1981/status/1287004119480197120

《 安倍首相、驚くべきことに、この1週間で3日は丸々休んでる。

  7月19日(日)休
  7月23日(木)休
  7月24日(金)は1時間のみ出
  7月25日(土)休

  九州地方の豪雨被害には「全力を尽くす」と言い、コロナの感染者数は全国各地で過去最多を更新中なのに、である。

  国会閉会中審査も出ずに、だ。 》 但馬問屋
https://twitter.com/wanpakuten/status/1287047450797068293

《 ある自民党議員が語った、安倍政権の失政に声を上げない理由   「私は考えるのを止めた。考えても何か言うと、官邸から恐ろしい報復がある。考えたのに何も言わないとストレスで病気になる。だから考えない。 脳死すれば、夏休みも取り放題、ボーナスがっぽり。こんなに楽な仕事はない。特に老後には」 》 古賀茂明@フォーラム4
https://twitter.com/kogashigeaki/status/1286567563149758466

《 元官房副長官「国会は実質的『学級崩壊』状態だ」 改革拒む「パンドラの箱」とは 》 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20200720/k00/00m/010/149000c

《 人生にもあればいい 》 のんさん
https://twitter.com/non_mintcar/status/1287021302075674626

『日本文化における悪と罪』四(閑人亭日録)

 中村雄二郎『日本文化における悪と罪』新潮社1998年初版「第四章 誠という道徳的価値について」を読んだ。

《 それにしてもなぜ、これほどまでに〈誠〉の儒学が大勢を占めたのであろうか。
  それについて相良亨は、こう説明している。徳川時代においてもしも倫理を客観主義的にとらえようとすれば、それはおのずと〈国法〉に合一化してしまう。そこで 《権力を背景にする法を守り、他者に対する主観的心情の純粋性を求める、これが徳川時代の日本人の示した、生き方の基本構造であった》(『誠実と日本人』一四九頁) のだ、と。この指摘は、まことに重要な問題に触れている。というのも、ここから、〈誠〉の中心の思想が制度を媒介とした自己と他者との関係を明確にとらええないために、 既成の制度を不動化・絶対化し、それには手を触れずに内にこもって主観的心情をいよいよ純粋化することで現実や社会に立ち向かう在り様が浮かび上がってくるからである。  》 138-139頁

《 右に前節で行なったその概観からもわかるように、徳川時代において、朱子学的な〈敬(つつしみ)〉中心の儒教から、陽明学をも巻き込んでいった〈誠〉中心の 儒教への変貌、そしてさらには幕末の志士たちの合言葉になった〈至誠〉、の持つ意味は大きかった。そして、それらは、明治以後の日本人の精神風土の在り様に決定的な 影響を与えていたのである。 》 139頁

《 そして私の見るところ、〈誠〉の原理が純粋化されやすく、他者を見失ってしまうのは、もともと、それが、自己を客体化することのない情動的な閉じられた場のなかで 成立しているからであろう。 》 141頁

 ネット、うろうろ。

《 源兵衛川が増水ぐぁ(^O^)流されるから遊べないぐぁ~ 》 アヒルのトノ
https://twitter.com/mgmmd08010/status/1286104910820302849

《 白滝公園で遊ぶぐぁ(^O^) 》 アヒルのトノ
https://twitter.com/mgmmd08010/status/1286115331845419009

 去年の夏、源兵衛川で見た。人に馴れている。川の水位、きのうより数センチ上がっている。川べりの縁台の縁に水がかぶってきた。

《 一応まじめに答えると、

  日本語は人間性も論理も不動産契約もあやふやですます別天地があることを教えてくれる。

  日本語は世界が掛詞ひとつで別の世界にすりかわることを教えてくれる。

  日本語は人間が世間に同調するだけで現実も人間も捨ててしまえることを教えてくれる。★ 》 巖谷國士
https://twitter.com/papi188920/status/1286877830777774080

《 というか、文学、あるいは芸術一般において「何かをテーマにする」という構えが基本的にダメなんだと思う。 》 千葉雅也
https://twitter.com/masayachiba/status/1286826768406462464

《 テーマを考えるのをやめなさい、というのも芸術教育のけっこう基本だと思う。 》 千葉雅也
https://twitter.com/masayachiba/status/1286827496952848384

《 「専門家の皆さんも仰っているようにあの時と状況は異なり」って、何がどう異なっていて、どうなったら緊急事態宣言を出す可能性があるのか。 それを問う記者はいなかったのか。「安倍総理「再び緊急事態宣言を出す状況にはない」 》 安田登
https://twitter.com/eutonie/status/1286601381328097281

《 高木俊郎の「抗命」に『インパール作戦につては、だれも責任を取る者がいなかった。・・ビルマ方面軍の河辺軍司令官は、その失態にも係らず、翌年には、 陸軍大将に進級、さらに要職に付いた。これが、日本軍の体質と構造であった」と。今と同じ。 》 nishi
https://twitter.com/nishi_ikutarou/status/1286574493347876864

《 この過去最高の794人の感染者が出た日に、日本政府はGoToキャンペーンを始めた。政府が主催するコロナパーティだ。
  我々の社会が地獄に向かって突き進んだ日、7月22日を忘れるな。もう、政府を信頼することはできない。
  #安倍政権の退陣を求めます 》 海渡雄一
https://twitter.com/kidkaido/status/1285954206453641220

《 閉会式の日の感染者数が東京2020人になると聞いております 》 TKO
https://twitter.com/taitaism/status/1286613812250988544

《 鬼ころしの空箱で工作しました! 》 空箱職人 はるきる
https://twitter.com/02ESyRaez4VhR2l/status/1286210891877240832

『日本文化における悪と罪』三(閑人亭日録))

 中村雄二郎『日本文化における悪と罪』新潮社1998年初版「第三章 隠されていた儒教道教」を読んだ。

《 墓参りや先祖供養は、通常われわれが思っているように、本来の仏教的なものでもなければ、日本固有の民俗信仰に基づくものでもないからである。 》 94頁

《 〈死者の魂〉の存在は仏教も認めている。しかし、本来の仏教の場合には、死者の魂は四十九日を過ぎると来世に転生し、何か別のものになってしまう。この世あるいは その周辺にとどまっていることはないのである。〈草葉の陰〉(墓地)にいる霊にしてもそうである。 》 95頁

《 ここに黒田俊雄の「〈神道〉の語義」(岩波「日本思想大系」第一九巻月報、一九七七年五月)という一文がある。 》 105頁

《 少なくとも鎌倉時代までは、〈神道〉ということばは、神という状態・神のあり方を指していたものと思われる。 》 106頁

《 さらに黒田は、神道というのは民族的宗教というよりきわめて習俗性のつよいものであり、だからこそ、〈神仏習合〉のようなことがスムーズに起こり得たのではないか、 と言う。そしてその上で、神道ということばは、むしろ〈仏の化儀(けぎ・作法)〉の意味に近い、とまで言いきっている。 》 106-107頁

《 また、この〈化儀〉という性格のために、神道は原則的に世俗的世界を離れることができなくなった。《現生は神、来世は仏》という観念が日本人に根を下ろしたのも、 神道の世俗性のゆえと考えられる。 》 107頁

《 福永(光司)による以上の日本の天皇制と中国の道教の対比によって、日本の古代天皇制がいかにいろいろな意味で、中国の道教から多くを学び、そのつよい影響下に 自己を形づくってきたかが、うかがえるだろう。 》 115頁

《 ここまで形式的な証拠が揃えば、いくら、形式と内容とはちがうとはいっても、日本の天皇制について、まったくの独自性を主張するのは、無理であろう。(中略) 問題は、祭祀的な天皇制において、その形式的な借用のうちに、借用が単なる借用を超えたものがあるか、ということである。 》 115頁

 昼過ぎ、友だちに誘われて源兵衛川最上流部へ。蓮馨寺横の水の散歩道(飛び石)も全部水没。サンダルに履き替えて遡る。それが楽に見えて、冷たい、早い、深い、の 三密ならぬ三試練。オレは行者かあ。わずか数十メートルだけど、もう水に入りたくない。足はギンギンに冷えている。橋の横の縁台で日向ぼっこ。ふう。上流では 子どもたちが服を着たまま川に入り、わいわい泳いでいる。子どもにはかなわん。縁台に座って足だけ水に漬けていたい。なんてすぐ思ってしまう。

 ネット、うろうろ。

《 池の水位が57年ぶり2メートル超 昭和の眺め再び 静岡・楽寿園 》 毎日新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/1e3fbda0684452c42fd17a269567c496eeba5fad

《 世の中の大抵の新しいことは、既存価値観の破壊、不道徳、それと若さと無知からくる蛮勇その外に支えられた研鑽から生まれるので、 道徳的であり差別的でないことを全てに最優先させたら、人の世の進化は軒並み停滞しそう。 》 加藤AZUKI
https://twitter.com/azukiglg/status/1286100593426096129

《 東京、大阪、愛知と新規感染者が急速に増加してる中、GoToトラベルを始めて国民に移動を促す我が国の政府。 》 ささきりょう
https://twitter.com/ssk_ryo/status/1286238494344454144

《 え?激務?
  というか、この記事なんなんだろう。きもい。

  貴重な息抜きだったが…激務の首相、夏の別荘滞在を取りやめ : 政治 : ニュース : 読売新聞オンライン 》 ささきりょう
https://twitter.com/ssk_ryo/status/1286518366388121600

《 東大の児玉龍彦名誉教授が、総力を挙げ対策を直ちに始めないと「来週は大変になります。来月は目を覆うようなことになります」と国会で胸を揺さぶる訴えをしたのが 7月16日。その1週間後、東京の感染者は366人となった。その後の講演で教授は「政治家が動いた形跡はない」と言ったがその通りになった。 》 立川談四楼
https://twitter.com/Dgoutokuji/status/1286505643797405696

《 この記事で一番恐ろしかったのは、このことばです。

  政府関係者
  「五輪がなくなれば、政権はこの先の目標が何もなくなる」

  私たちは、なぜこんな政府をもってしまったのだろう…。一体何のための政府?

  五輪成否、首相の命運握る コロナ禍で中止なら大打撃―解散戦略も左右 》 KAMEI Nobutaka
https://twitter.com/jinrui_nikki/status/1286471802856902656

《 今日町中で見かけた文で一番よかったやつ 》 ボニボニア
https://twitter.com/BoniAXS/status/1286295944682561538

『日本文化における悪と罪』二(閑人亭日録)

 中村雄二郎『日本文化における悪と罪』新潮社1998年初版を少し読む。

《 このように心のあり方というものは、意のままにならない。(中略)およそ人の心というものは、もともと善でも悪でもないけれども、善にもなれば悪にもなる。 人の心根は業縁によって簡単に振り回されるからである。したがって、人は、自己の意思や精進によって善人であるのではない。善人もまたしばしば悪人に変貌する。 仏典に親鸞が読み込んだ〈内に虚仮を抱く〉[内心にいつわりを抱く]というのは、まさにそのような人間の在り様を指している、と。
  まことに、親鸞において、悪の認識と罪の意識とはおどろくほど徹底している。 》 「第一章 日本文化における悪と罪」 33頁

《 自己のうちの悪の問題への問いかけがないところには、他者の行なった悪に対処する方途はありうるはずがないのである。そして、宗教的な悪のもっとも典型的なものは、 内面的な罪の意識にかかわるものよりも〈宗教の権力化〉であろう。 》 「第二章 問い直された日本人の宗教心」 70頁

《 このような日本儒学における〈誠〉の重視は、明治維新を推し進めた幕末の志士たちによって〈至誠〉としていっそう主観化されていくのである。 》  「第二章 問い直された日本人の宗教心」 74頁

《 しかし、右に見たことから明らかなように、西田(幾多郎)哲学での善の徳目における〈至誠〉の優先は、それ自身日本のナチュラリズムとの混淆によって成り立って いた江戸時代儒教思想の〈誠〉の重視とつながっていたのである。 》 「第二章 問い直された日本人の宗教心」 77頁

《 しかも道教は、日本の天皇制や、かつて本居宣長などの国学者によってこれこそが純粋に日本的なものとされた〈神道〉と密接に関わっている。 》  「第二章 問い直された日本人の宗教心」 78頁

《 すなわち、《新しいヴィジョンは、無から生じるのではなく、可能性すなわち想像力をもって、古きものを新しい目的に役立つ新しい関係のうちに見ることから生じる。》 いまこそ、そのような想像力を存分に働かせるべきであろう。 》 「第二章 問い直された日本人の宗教心」 86頁

 ネット、うろうろ。

《 57年ぶり…湧き水が200センチ超 楽寿園の小浜池 静岡・三島 》 テレビ静岡
https://news.yahoo.co.jp/articles/819a82db814352afef4ac008452227297024dfa8

《 あのとき見逃していただいた誤植です。 》 澤田 瞳子(Sawada Toko)
https://twitter.com/nono_sansan/status/1285761707193724929

《 「ゆりの惑星」

  GoToで旅行に出たもののロックタウンで東京に戻れず放浪の果てにようやくどこかの都市に戻るとすでに人類は退化していて○○が支配してる。 逃げ出した荒野の果てに都庁の廃墟があり「バカ者たちが」と絶叫しながら泣きくずれる。この○〇が何なのかを考えよう 》 山田正紀
https://twitter.com/anaryusisu/status/1285481818716684288

《 これはちゃんと記録をしておいたほうがいい。全国の感染者が過去最多になった翌日からGoToトラベルキャンペーンが始まる。そして、首相はこの事について 何のメッセージも出さず、官房長官は医療提供体制は逼迫していないといい、幹事長にはキャンペーンの受託団体から献金が渡される。すごい国だ。 》 安田登
https://twitter.com/eutonie/status/1285904560989499393

《 もう一度、原点に戻って。4月29日の衆院予算委の質疑です。
  「GoTo」は、もともと「収束後の事業」と位置づけられていたもの。感染急拡大のもとで実施することは、もともとの政府の言い分からも説明がつかない。
  いまからでも中止し、観光業界などには直接支援を。 》 志位和夫
https://twitter.com/shiikazuo/status/1285941350060322817

《 夫が「ステイ」だの「ゴー」だの「イート」だの、俺たちゃ犬か?と言ってた。まったくもって。 》 MamiMatsuda
https://twitter.com/iloveferry/status/1285787890895683584

《 たかが、ちょっと大掛かりな運動会に、なんでそんなに固執するのかと思うけど、彼らにとっては、そういうお祭り騒ぎに乗じてアブクゼニをかすめ取るのが、 何よりの喜びなのであろう。それが彼らの能力に見合ったシノギなわけだ。ま、しょうがないわね。それだけのみみっちい器なんだから... 》 fusion
https://twitter.com/__fusion/status/1285938943112798208

《 中国四川省伝統芸能である川劇では、役者のお面が一瞬で変わる「変臉」(へんれん)という技法が使われる。日本では変面と記されることもあるこの技法を、 屋外で演じている様子の動画。様々な布の面が瞬間的に脱着しているが、そのやり方は秘伝とされている。 》 小口 高
https://twitter.com/ogugeo/status/1286062194929463296