『縄文論』六(閑人亭日録)

 安藤礼二『縄文論』作品社二○二二年一一月一○日第一刷発行、「縄文論」後半を読んだ。自らの知識不足(と偏見)を実感。特にアイヌの人々について。そして知識が一新される快感。

《 しかし、それでもなお、今日、文学(芸術)はあまりにも文学的(芸術的)に語られすぎ、科学(考古学)はあまりにも科学的(考古学的)に語られすぎている。それぞれ、自らの領域に自足しすぎているように思われる。(引用者・略)また、異種交配する必要はあるのであろうか。私は、異種交配は可能であり、また同時に必要であると考えている。なぜなら、両者の目指すところは一つに重なり合っているからだ。それを一言でまとめてしまえば、人間にとって「表現」がどのように生まれ、その表現がどのように展開してきたかを探ること、となる。原型としての人間、原型としての表現を探ること、となる。 》 160頁

《 狩猟採集社会の人々は、物理的な環境と精神的な環境が一つに融け合ったような世界を生きている。そうした世界が二つに、物質的な世界と精神的な世界に分断されてしまうのは、農耕社会以降なのである。自然のなかを生きる人間が、自然を支配するようになったのである。 》 181頁

《 「遊動」ではなく「定住」を選びながら、「農耕」を採用せず、「狩猟」を保持する。その結果として、「狩猟」(男性)と「採集」(女性)との間に階層と生業が分化されながらも安定した社会が築かれ、おそらくは、そこに「国家」が形成されることはない。アイヌの人々が選び、生きた社会は、そのようなものだった。 》 188頁

《 「未開」と「文明」、野生と文化(耕作)を対立させるのではなく、「文明」を準備しながらも「未開」のままにとどまることを選んだ社会、「定住」と「農耕」を切り離し、そのことによって「狩猟」と「採集」を切り離した始原の豊かな社会、「野生」の社会、それが、狩猟採集社会の極限にして限界に位置づけられるアイヌの社会であり縄文の社会であった。 》 193-194頁

《 絵画であるとともにエクリチュール、形象であるとともに理念、具象であるとともに抽象、それが「権力」以前、「文字」以前の芸術表現なのだ。 》 198頁

《 アイヌの人々が衣服に、鉢巻に、イクパスイ(神に酒を捧げるための木製の箆)に刻み込んだ文様は自由奔放のようでありながら、自分たちの出自、世界における自分たちの位置を神話的=物語的=宇宙的にあらわしたものであった。文様はただそれだけで、一つの神話=物語=宇宙を語っていたのである。 》 200頁

《 後期旧石器時代の狩人たちが残した洞窟絵画には、「具象」と「抽象」のみならず、両者の性質を兼ね備えた──人間の具体的な手を用いて象徴的なサインを表現する──「図像にして記号」までもが残されていたのである。 》 205頁

《 従来の世界史的な理解によれば、「土器」の発明によって旧石器の時代(狩猟採集社会)と新石器の時代(農耕社会)が区別された。土器の使用と農耕の開始が新石器革命を意味していた。縄文は、そのような区分を根底から無化してしまう。
  縄文時代の展開に従って、土器も異形化し、土偶も異形化する。土器の異形化と土偶の異形化は並行し、共振するものであった。 》 211頁

《 旧石器時代から狩猟採集という生活スタイル、物質的な環境と精神的(霊的)な環境が一つに重なり合う生活スタイルを引き継いだ縄文時代は、その完成期と終焉期に自らのもつ表現性の臨界にして装飾性の臨界に到達したのである。それは人類史的に考えて、芸術表現の一つの到達点ということも可能であろう。 》 212頁

《 ラスコーの壁画は、縄文の土器は、自然にひらかれた原型的な人間たちが執り行う原型的な「祝祭」の表現であった。 》 213頁

 ネット、うろうろ。

《 昨日の続きだけど、これ便利過ぎる衝撃でメガネ粉々に砕け散った 》 オクシン
https://twitter.com/OKU_MAYA/status/1596247383322415104

《 なぜNHKが直接FIFAと契約しないのか?>
  我々の受信料であるぞ。 》 Koichi Kawakami, 川上浩一
https://twitter.com/koichi_kawakami/status/1596891904800485377

《 秋葉大臣
  「私の次男が、私の選挙を心配して私の力になりたいと考えて行動した(タスキをかけた)」

  立憲、大西議員
  「公選法違反を認めるということでよろしいか?」

  秋葉大臣
  「一切認めません、選管や警察から特に指摘はなかったと聞いている」

  ヤジ「え~」

  #国会中継 》 125
https://twitter.com/siroiwannko1/status/1596892054776590336

『縄文論』五(閑人亭日録)

 昨日、「場所論」の「3 光り輝く暗黒」を読んでいていて北一明の耀変茶碗を連想した。

《 光り輝く宝石、光り輝く透明な珠の連なりを想像してみればよい。光り輝く宝石が連ねられたとき、現実には決して存在せず、ただ潜在的にしか存在していなかった光の線が、それらを貫いて走るだろう。そこにこそ、意味を可能にする「火」が発する。 》 119頁

 著者が北一明の耀変茶碗を知っていたら、このあたりの論述はずいぶん違っていた気がする。
 http://web.thn.jp/kbi/kitaron.htm
 https://www.hosei.ac.jp/tama/info/article-20221007100138/
 https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2022101300065

 朝、ステファヌ・マラルメ『賽の一振り』柏倉康夫・訳 月曜社は、机上にある。まだ読む気力が湧かない。
 安藤礼二『縄文論』作品社二○二二年一一月一○日第一刷発行、「縄文論」を少し読んだ。密度が濃くて少ししか読めなかった。興奮。

《 「未開」や「野蛮」と称された社会は、国家の形成に抗う社会であった。 》 142頁

《 国家に抗する社会とは、国家に帰結する「生産と蓄積」の起源である新石器革命、灌漑という技術を利用した大規模な水田稲作(灌漑水田稲作)を現在まで受け容れなかった人々の共同体であったことが分かってきた。 》 143頁

《 芸術の起源にして社会の起源、「旧石器」の狩猟採集社会に立ち還ることによって現在の芸術と社会の在り方を相対化し、新たな道を切り拓いていく。それが岡本太郎ジョルジュ・バタイユが意図していたことだった。 》 144頁

《 太郎とバタイユの試みをアップデートしてリニューアルする。私がこの「縄文論」で試みたいのは、ただそのことだけである。 》 145頁

《 しかし、そのなかでもラスコーは量的にも質的にも格段に優れたものだった。絵画表現の起源に位置づけられる作品群が、同時にある種の絵画表現の完成をも指し示していたからである。 》 145頁

《 しかも、その壁画を残した人々は、磨き上げられた石器(磨製石器)を使っておらず、ただ打ち割られた石器(打製石器)しか使っていなかった。 》 145頁

《 世界の大部分に新石器革命の波が押し寄せてきた直中で、その革命を受け容れなかった人々が極東の列島にも存在していた。土地をはじめとする日常(通常)の道具に非日常(異常)な装飾を刻み続けていた縄文の人々である。(引用者・略)新石器(農耕および牧畜)の時代に属しながらも、結局のところ採用されなかったのである。 》 146頁

《 縄文は、国家として結実し、現在にまで至る「灌漑水田稲作」による社会、弥生とは断絶している。 》 147頁

《 土器自体は日常品であるが、縄文中期の土器はその目的を大きく逸脱した過剰な装飾品、宗教的な価値と経済的な価値を切り離すことのできない「神器」にして「宝器」でもあったと推定される。 》 148頁

《 線は渦を巻き、螺旋を描く。それは具象ではなく抽象である。しかも平面の処理ではなく立体、すなわち「空間」の処理であり、さらにそのことによって人間的な三次元の「空間」の認識は研ぎ澄まされ、現実である「三次元」を超えた超現実、「四次元」の表現が可能になる。 》 150頁

《 神と人と獣が一つに混じり合う。縄文中期の土偶にして土器、中部高地の土器の在り方を最も的確に表現する言葉でもある。 》 156頁

 中部高地・・・先月十五日、山梨県立美術館の「縄文展」で見た=驚愕した県内発掘の縄文土器群・・・。
 https://www.art-museum.pref.yamanashi.jp/exhibition/2022/650.html

《 深い鉢なんかどのよう に使用したのか、何を入れたのか、なぜこんなスゴイ文様を付けたのか? ごく小さなモノは身につける護符の類いか? いろいろな疑問が湧く。そしてその力強い洗練に 驚嘆。現代の造形作品を顔色なからしめるほど。目が洗われた。 》

 ネット、うろうろ。

《 芸術制作であれば、〈縁〉を共同制作していく相方は〈人間〉にとどまらないので、非人間界(生物界、物質界、環世界)と共同するので、はじめから〈常識〉神話に叛いてしまう性格をもっている。間違えてはならないのは、それは意図したものでも、目的でもないということ。ここがよく倒錯されやすい。 》 中島 智
https://twitter.com/nakashima001/status/1596623186933972992

《 国会で答弁をヒカエている間は講演会も控えるべきじゃありませんか? 》 能川元一
https://twitter.com/nogawam/status/1596657744286998529

《 NHK #日曜討論 に出席。各党が軒並み大軍拡を主張。
  私は、台湾問題を絶対に戦争にさせない外交戦略が必要、ASEANに学び、どこかの国を排除するのではなく、地域のすべての国を包摂する平和の枠組みが重要と述べました。
  自公も政府の有識者会議報告書も、具体的な外交戦略がなく軍事一辺倒が大問題。 》 山添 拓
https://twitter.com/pioneertaku84/status/1596702986046042112

《 原発推進派だらけの有識者会議、28日に方向性議論 運転期間延長や次世代型開発 「首相の指示」で結論急ぐ 》 東京新聞
https://www.tokyo-np.co.jp/article/216285

《 #岸田に殺される がもうすぐ現実に…庶民を待ち受ける大増税が着々と計画中|日刊ゲンダイ

  検討中→「走行距離税」
  検討中→ 「消費税率15%」

  決定→ 「森林環境税」(24年度から1人1000円)
  決定→ 「酒税増税」(第3のビール)
  決定→ 「相続税贈与税」一部非課税廃止 》 但馬問屋
https://twitter.com/wanpakuten/status/1596381923797917696

《 岸田に検討税かけよう。検討だけで終わった場合収入の300%を徴収する。 》 猫リュック❎(🏺フリー確認済みアカウント)
https://twitter.com/nasitaro/status/1596425607940046849

《 過去6ヶ月間にコロナにかかった46人と、まったくかかってない30人の脳をMRIで調べたところ、コロナのほうは前頭葉などの微小血管の血流が少なくなっていた。またコロナに複数回感染することでダメージが蓄積するかもしれないと言っている。コロナ防御やめた欧州は大丈夫か? 》 森岡正博
https://twitter.com/Sukuitohananika/status/1596170904161357825

《 感染症対策=自粛、と短絡的に考える人が多い。閣僚も含めて。それで感染症対策(=自粛)はもう勘弁と言う。

  感染症対策の真髄は「検査して社会をまわす」。こう転換しないと、いつまでたっても"社会をまわす"と"感染症対策"が対立し、波を繰り返すことになる。
  #PCR検査と治療薬提供の拡充を求めます 》 Koichi Kawakami, 川上浩一
https://twitter.com/koichi_kawakami/status/1596553703284039680

『縄文論』四(閑人亭日録)

 安藤礼二『縄文論』作品社二○二二年一一月一○日第一刷発行、「場所論」後半を読んだ。あまりに深い洞察にただ瞠目。息を呑む。理解が・・・追いつかぬ。

《 ラフカディオ・ハーン西田幾多郎鈴木大拙、エマヌエル・スウェーデンボルグ。これらの出会いは、まったくの偶然である。しかし、一つの必然に導かれての出会いであった。 》 100頁

《 詩人は、もし、彼方の世界──この世界の外──から持ち帰ったものが形態(フォルム)をもっているのであれば、それに形態を、無形態(アンフォルム)のものであるならば、それに無形態をあたえなければならない。 》 104頁

《 生命は、外的環境と内的環境の交点に、その身体を形成するとともに精神をも形成する。引き合い反発する力、外に展開しようとする力と内に縮約しようとする力の拮抗が、原初の生命を形づくる。 》 106頁

《 しかし、それは観念の上に観念を重ね、一つの観念をさらなる別の観念の連鎖によって置き換えて説明し続けていくという、まさに無限の悪循環に陥っていくことでもあった。おそらく、そこに出口はなくなる。 》 110頁

《 西田の歩まなければならなかったそうした行程は、ボードレールの「類似と照応の詩法」を「無の詩法」にまで推し進めたマラルメの軌跡と完全に並行し、重なり合っている。 》 115頁

《 純粋な「象徴」によって創り上げられた純粋な作品においては、もはや「作者」は消滅する、「無」となるしかない。 》 118頁

《 マラルメは、このような光り輝く宝石が無数に連ねられた首飾り、「象徴」という詩語で綴り上げられた「作品」が可能になるためには、「作者」は「無」のなかに消滅しなければならない、と説いていた。 》 119頁

《 「賽の一振り」は、おそらくはイジチュールが成長したのであろう船長の航海であると同時に、難破の記録を、白いページの上にさまざまな大きさと種類の黒い活字を配した、絵画のような、あるいは楽譜のような、作品である。マラルメが「詩の危機」に記したような、他の意味にひらかれた「象徴」が、無時間的かつ無空間的に空中に漂うイメージとしてではなく、時間的かつ空間的な物質性をもった「語」として、白いページ、すなわち「無限」の海の上に刻み込まれている。 》 133-134頁

《 生命は偶然性にひらかれている。そのことによってまず、一群の個体が変化し、次いで「種」全体をも変化させる。
  マラルメは、ただ同じこの偶然性のみを文学の主題として、生涯をかけて追求していったのだ。「賽の一振り」は、その最後の成果として形になった。 》 136頁br>
《 表現の未来は、思想の未来は、そういった西洋と東洋の分割を、過去においても未来においても、偶然性を梃子として乗り越えていってしまった新たな次元でしか可能にならない。マラルメは文学としてそうした未来を示そうとし、西田幾多郎は哲学としてそうした未来を示そうとした。 》 137頁

 ステファヌ・マラルメ『賽の一振り』柏倉康夫・訳 月曜社を明日、読み直さなければ。私は何を読んでいたのだろう。
 https://getsuyosha.jp/product/978-4-86503-130-0/

 ネット、うろうろ。

《 ブラックフライデーって、いらんもんとか売れ残りっぽいもんしか安くなってないですか? 》 マキエマキ
https://twitter.com/makiemaki50/status/1596118966573072384

《 涙が止まらない 》 ツイチューブ TwiTube
https://twitter.com/Twitube_123/status/1596121482949951492

《 左派からも右派からもそれぞれ別の理由でダメ出しされてる。 》 森岡正博
https://twitter.com/Sukuitohananika/status/1596120216265986050

《 自民の質疑で、「補正予算」を「不正予算」と空耳😄 》 buu
https://twitter.com/buu34/status/1595973668274065409

《 11月25日の衆議院予算委員会で酷い話が・・。
  立憲民主党の長妻議員が統一教会被害救済について、専門家である弁護士の参考人招致を求めたところ、自民党公明党が賛成せず出席が認められなかったとのこと。
  被害者救済!と言いながら、弁護士の出席を認めないとかもうやる気ないでしょ。終わってる。 》 HOM55
https://twitter.com/HON5437/status/1596172507446677505

《 この10年のインド都市部の発展は驚異的。日本が戦後30年かけて作り上げた中産階級向け文化を7-8年で作り上げたのでは?ただしそれは上位3-4億人の世界。未だに貧しい10億人がいるのも皮膚感覚で感じるが。 》 m-take
https://twitter.com/takeonomado/status/1595883748796821504

《 あと1世代、25年でインドはアメリカになり、アメリカはインドになるような気がする。 》 m-take
https://twitter.com/takeonomado/status/1595884925752074240

『縄文論』三(閑人亭日録)

 安藤礼二『縄文論』作品社二○二二年一一月一○日第一刷発行、「場所論」を半分ほど読んだ。驚嘆。付箋が林立。

《 しかし、未知なる表現の未来は、そうした「奇怪」で無惨な廃墟からしか生まれてこない。 》 80頁

《 現象即実在にして相対即絶対、一即多にして多即一。その絶対的に矛盾する事態を成り立たせる、アートマンブラフマンである、「心」はそのまま「真如」であるという原理。それが『善の研究』全体を貫く西田の哲学のもつ基本構造にして、西田の盟友・鈴木大拙によって近代的に解釈し直された仏教思想のもつ基本構造でもあった。 》  90頁

《 それは、文学における象徴主義の完成であるとともに、文学の消滅ともいえる事態を引き起こした。『善の研究』からはじまり、『自覚に於ける直観と反省』を経て、『働くものから見るものへ』の後編に収められた「場所」にいたる西田幾多郎の歩みは、ボードレールランボーマラルメの歩みと完全に並行している。類似と照応を可能にする「純粋体験」からはじまり、「純粋体験」を成り立たせる「自覚」(「見者」としての主体)の立場へ、さらには「自覚」を極限まで突き詰めることで「無の場所」へ、それは哲学における象徴主義の完成であるとともに、哲学の消滅ですらあった。 》 98頁

 東京新聞「論壇時評」、中島岳志ひろゆきが壊したもの」が読ませる。深く賛同。

《 インターネット掲示板2ちゃんねる」創設者のひろゆき西村博之)が、沖縄県名護市辺野古で新基地建設に反対する市民を揶揄(やゆ)したとして、話題になった。 》

《 ひろゆきの嘲笑は、さまざまなものを毀損(きそん)している。まずは、沖縄の人たちの尊厳である。自らのポジショナリティに対する省察がないまま、相手に軽蔑的な笑いを向けることは、許されることではない。
  そして、その笑いは議論そのものを毀損している。議論は、相手の言っていることに理があると思えば、自らの意見を変える勇気がなければできない。自らの正しさを疑い、相手の言い分に真摯(しんし)に目を向けることができなければ、議論は成り立たない。
  一部でひろゆきは「論破王」と言われている。この「論破」は議論ではない。時に優位な立場から相手を傷つけ、自らの設定した定義に基づいて一方的な論を展開する。そして、相手から反論されても笑みを浮かべ、巧みに論点をすり替える。これに多くの人が「いいね」を与えることで、ひろゆきは相手論破したと見なされる。
  私たちが取り戻さなければならないのは、議論の土台ではないか。  》

 ネット、うろうろ。

《 レコードの再ブームの背景にあったもの【“ココ吉”矢島店長に聞く、レコードの話 第1話】 》 FASHONSNAP.COM
https://www.fashionsnap.com/article/cocokichi-record/

《 定期的に「美術大学では作家になるノウハウを教えない」と批難する声をみかけるけれど、「アート」という技術はそんな単純なゲームではない。石膏デッサンからはじまって美術館収蔵でアガリといった双六ではない。そんなゲーム内ゲームが「アート」だったら、名づけ得ないものと遊ぶ訓練などいらない。 》 中島 智
https://twitter.com/nakashima001/status/1595983351709458432

《 日本学術会議改革で法改正へ 岸田政権

  ①行政や産業界と十分な意思疎通を図れ
  ②組織運営に意見を述べる第三者委員会を設置
  ③第三者が学術会議会員の候補者を推薦

  国家権力による学問への露骨な介入。それにしても学者側ではなく、政府側でもない第三者とは一体何者なのか 》 盛田隆二 💙💛 https://twitter.com/product1954/status/1595728210918277120

『縄文論』二(閑人亭日録)

 安藤礼二『縄文論』作品社二○二二年一一月一○日第一刷発行、「草原論」を読んだ。すごい熱量。

《 私の真の意図としては、「近代」はもはやヨーロッパだけにとどまらず、この極東の列島をも巻き込んだ「学」の再編にして、「表現」の再編をともなっていることを明らかにする点にある。ヨーロッパの近代化と不可避的な関係をもちながら、ともに近代化をしつつ変容していったヨーロッパの外側に立ち、そのヨーロッパの外側から、近代のもっていた可能性と不可能性の両者をあらためて測定しなおすことにある。 》 17頁

《 「語ること」から言語学が生まれ、「分類すること」から生物学が生まれ、「交換すること」から経済学が生まれた。しかし、それぞれの学を統べる原理はまったく異なっている。近代的な新たな学の中心には、「人間」が位置づけられている。 》 18頁

《 この「草原論」では、その今西錦司から、今西の「師」である西田幾多郎へとさかのぼり、まずは生物学と哲学の間にある垣根を無化してしまうことを試みる。 》 32頁

《 今西は、つねに生成発展していく生物の側に立っていた。生物は、自らを作る。そうした観点から、生物と環境を分離して考えることはできない。生物と環境はもともと同質のものである。生物は環境に働きかけ、環境は生物に働きかける。 》 42頁

《 種もまた自らを作りゆき、環境を主体化し、主体を環境化することによって、変化する。 》 42頁

《 なぜ、霊長類のなかで、ただヒトだけが種として直立二足歩行することが可能になったか。(引用者・略)身体が固定されてしまった大人たちではなく、身体に柔軟性が残されている子どもたち、幼児たちが、一斉に変わるから、である。 》 44頁

《 四○歳を迎える直前であった今西錦司は、こう考えている。生物の世界は「一即多多即一」という構造をもっているからだ、と。 》 45頁

《 身体と細胞は全体と部分であり、一と多の関係にあり、その関係が「即」でむすび合わされたものなのである。 》 60頁

《 遊牧とは、遊動する狩猟採集民たちが、定住する農耕民の生活を経ることなく、動物たちに導かれて、動物たちとともに草原を移動していくことで成立した。だからこそ、遊牧民たちは、農耕民たちにはもつことのできない強大な力を手に入れることが可能になり、ある段階では、農耕民たちを圧倒するまでの集団、人間と動物が「共生」した未曾有の戦闘集団を築き上げることに成功したのだ。 》 72頁

 朝から来客。見送り、今度は友だちと訪問へ。昼食後、友だちのお供でバスに乗り、沼津市ダイソー本店へ。電話注文した品物を受け取り、バスで帰宅。ふう。 慌ただしくも発見のある一日だった。

『縄文論』(閑人亭日録)

 安藤礼二『縄文論』作品社二○二二年一一月一○日第一刷発行、「はじまりの場所へ──『縄文論』序」を読んだ。冒頭から興奮。

《 『縄文論』として一冊にまとめられたこの書物は、人間にとって原初的な存在の在り方、原型的な思考の在り方、原型的な表現の在り方を問うたものである。 》 5頁

《 創造が破壊につながり、破壊が創造につながる。そのような表現をもってしまった人類の歴史を、この極東の列島においては、そのはじまりの場所から現在に至るまで、連続する一つの相のもとで捉えることが可能である。 》 10頁

《 原型的な人間たちが切り拓いた根源的な世界──そのような意味において「縄文」を捉え直さなければならない。 》 11頁

《 原初の芸術は「残酷」とともにある。『縄文論』は、これまでの牧歌的な「縄文」理解に否を突きつける。そして「縄文」を時間と空間の限定から開放する。原型的な人間たちが営む根源的な世界、すなわち「芸術」は現在においても生き続けている。そうした根源の世界と結びついた「芸術」の在り方を明らかにする。 》 11頁

 ネット、うろうろ。

《 人の作品を無断で使うことにメリットなんかあるはずがないと思うのだけど。ましてやそのへんのアマチュアでもない、実績のある写真家ならなおさらのはず。 》 マキエマキ
https://twitter.com/makiemaki50/status/1595054847912726528

《 否定性を内に含んでいなければ、芸術とは言えない。 》 千葉雅也
https://twitter.com/masayachiba/status/1595221290905763840

《 きれいだなぁ、楽しいなぁ、はそれだけでは芸術ではない。 》 千葉雅也
https://twitter.com/masayachiba/status/1595221521881919489

《 否定と肯定、悲しみと喜び、醜さと美しさが複雑に絡み合った状態は日常のあちこちにあり、それはそれだけで芸術の種である。それが芸術になるには、さらにそこに形式が与えられなければならない。否定と肯定が絡み合い、脱構築が起こり、それが形式を伴う。 》 千葉雅也
https://twitter.com/masayachiba/status/1595221997385961472

《 「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」、有識者といいつつこれまた不思議なメンツというか、軍事の専門家はいないのか…で日経と読売の関係者は入っている https://cas.go.jp/jp/seisaku/boueiryoku_kaigi/pdf/kaigi_kaisai.pdf 》 Masayuki Hatta
https://twitter.com/mhatta/status/1595078314053730305

《 「反撃能力」の名の下に安保政策を大転換…相手を脅して抑止するのは「幻想」 》 東京新聞
https://www.tokyo-np.co.jp/article/215531

《 「国防」ではなく「国亡」。外交的に無能で、貧乏な軍事国家化に突き進んでいる。給料も上がらず、発展もなく、市民の生活は破綻。 / 防衛費拡充へ調整本格化 与党、法人・所得増税を視野(時事通信) (Yahoo!ニュース) #NewsPicks 》 平野啓一郎
https://twitter.com/hiranok/status/1595243866344431617

《 特別会計にさえ手を突っ込めないメディアが、カルトの闇に迫れる訳が無い。無法な私物国家へ加速中。 》 m-take
https://twitter.com/takeonomado/status/1595309083090771968

『女?現地ルポ』二(閑人亭日録)

 田中小実昌『女?現地ルポ』秋元書房昭和44年6月25日発行を読んだ。

《 開館一周年記念謝恩特別番組ヌード座長大会と称して、関西では人気のある、いわゆる特出しさんたちが六人、ずらりと、看板に名前をならべていた。
  黒人ヌード アン・ヒギンズ
  歌う芸者 二階堂ユリカ
  日舞を踊る八頭身 紫小弓
  人気上昇 ベビー・児玉
  女の極致 花柳若菜
  おなじみ 桐かおる
  十人十色というけれど、ストリッパーにも、ほんとにいろんなコがいる。 》 「関西ストリップの楽屋裏──舞台で見られない部分を探究」 145-146頁

 知っているひとは桐かおるだけ。雑誌で顔を見ただけだけど、年増の妖艶な気配。

《 ストリッパーのおどりなんか、おどりのうちには入らないとおもっているひとがおおいようだ。なるほど、そうかもしれない。
  しかし、それなら、舞台にでてごらんなさい。おどりながら脱いでいくことが、いや、脱ぎながらおどるのが、どれだけむずかしいか。 》 「実地研究が第一──ためしてみようかしら──」 164頁

《 なんでも、やる気になって、しんけんにさがせば見つかるものだ。作家の吉行淳之介さんは、マジメにヌード劇場にかよいつめ、ついに出ベソのストリッパーを発見したという。 》 「ストリップ幕内史──かくせ かくせ──」 171頁

《 もともと、さらけだすのは、ストリップ精神とまるで逆のことだ。ストリッパーはだすことよりも、かくすことを勉強しなければいけない。かくしながら、じらし(ティーズ)ながら、ケチケチ脱いでいくからストリップ・ティーズなのだ。手袋ひとつとっただけで、着ているものぜんぶを脱いだようにおもわせる。それが、昔からかわらないストリップの神髄だろう。 》 「ストリップ幕内史──かくせ かくせ──」 179頁

 硬軟取り混ぜた読み物。現役ストリッパのツイート、ブログを読んで、舞台を見に行きた~いと思うが、このコロナ禍でまた行けず。
 https://www.maoshoda.com/home

 ネット、うろうろ。

《 北海道だけで連日死者30人超。
  コロナ死をインフル死や交通事故死と比較して揶揄していた愚か者たちは息をしているだろうか?マスコミは連日この異常事態をトップで報じているだろうか?
  #PCR検査と治療薬提供の拡充を求めます 》 Koichi Kawakami, 川上浩一
https://twitter.com/koichi_kawakami/status/1594950908206411776

《 核燃再処理工場、耐震計算結果を転記ミス 日本原燃の審査申請書 規制委で「危機感ない」批判相次ぐ 》 東京新聞
https://www.tokyo-np.co.jp/article/215291

《 後ろの3人に「えっ、あなたが言うの?」と吹き出しをつけてみると馴染む。

  自民・萩生田政調会長「岸田内閣は信頼回復に全力を」 寺田総務相更迭で 》 武田砂鉄
https://twitter.com/takedasatetsu/status/1594845501899538432

《 おいおい……。岸田、衆院本会議でまた寺田と武田を間違えたぞ。どうなってるんだ??? #国会中継 》 🏕インドア派キャンパー 📣ⒻⒸⓀⓁⒹⓅ🔥
https://twitter.com/I_hate_camp/status/1594571684673073153

《 衆本会議 @立民吉田質疑

  岸田「葉梨前大臣の発言については、私自身、問題があると強く感じたことから、翌朝には官房長官から厳しく注意をし、説明責任を徹底的に果たすよう、指示を致しました」

  この場合の「説明責任」ってどういう意味?🤔
  「問題あり」なのに?
  「上手く言い逃れること」とか? 》 buu
https://twitter.com/buu34/status/1594644693685796864

《 しかしいつから【責任】は『重く受け止め』たり『痛感する』ものに変化したのだろうか。
  そもそも【責任】は『取る』か『果たす』以外文法的にもおかしいと思うんだが。
  『任命責任を重く受け止める』って読めば読むほどイミフだし、受け止めてその後どうするかが肝要。これでは「受け流す」と同意義。 》   ハマーン感@魔女狩り推進委員会🐾雪組🍜
https://twitter.com/masirito22/status/1594449578023346176

《 今の政府与党を見ていると、『後を継いだ無能経営者により倒産してしまう企業』にしか見えないんだが。 》 ハマーン感@魔女狩り推進委員会🐾雪組🍜
https://twitter.com/masirito22/status/1594664366112378880