ヒュー・ロフティング『ドリトル先生の楽しい家』四篇目、「気絶した男」を読む。おお、シャーロック・ホームズへの見事なパスティーシュ作品だ。《 「すると、『気絶した男の怪事件』は、もう終わりをつげたというわけか。クリングはなかなかの名探偵だ。気…
ヒュー・ロフティング『ドリトル先生の楽しい家』三篇目、「犬の救急車」を読む。《 犬の救急車の初乗りは、スリルにみちた経験でした。救急班員にとっても、見物している町も人にとっても、まただれにもまして、患者自身にとっても、そらはわくわくするよう…
ヒュー・ロフティング『ドリトル先生の楽しい家』二篇目、「ぶち」を読む。犬の品評会で数々の賞を獲った純血種の、ダルマチア種のぶち犬の受難と逃走劇を、犬自ら語る。まあ、ひどく高慢なお金持ちのご婦人に買われた(飼われた)不運な犬よ。ドリトル先生…
最初の一篇「船乗犬(ふなのりいぬ)」を読む。参った。傑作だわ。今宵読んで大正解。南の海で難破した船に乗っていた犬と若い船乗りの生還までを、その犬が語るお話。筋に関係なく、心に刺さった文。《 犬はひとりの人間の友がいてくれれば満足します。けれ…
午後、彼女の娘さんと病院へ。行きの電車に乗車中、通り雨に遇う。東の田圃から二本きれいに並んで立つ虹。こんなの初めて目にする。吉兆を感じた。 彼女は眠っている。医師の説明を受ける。「退院」の言葉が出る。ずいぶん先のことだけれど、安堵する。 昨…
風が吹かず、穏やかな冬の日。何か日常の作業をしなくては。ゆっくりと洗濯物を干す。いい陽射しだ。しばし日光浴と思ったが、寒いわ。風呂場をゆっくり洗う。ふう。朝の作業は一段落。コーヒーを淹れる。日差しが部屋の奥にまで届く。太陽の動きが速い。時…
昨日、拙日録をしばらくお休みする、と書いたが。彼女が昨日未明から集中治療室で治療しているので、自宅に一人でいるのがとてもつらい。何も発表しないつもりでいたけど、公開することで気持ちが少しは落ち込まないかも、と思った。彼女は今、旅に出ている…
南伸坊『モンガイカンの美術館』朝日文庫1997年5月1日 第1刷発行の再読を進める。 「カーワイーイ」《 ボテロさんはいっている。 「ラファエロのようなリアリスティックだとみなされている画中の画家の人物が、街で歩いているのに出くわしたら、人はショック…
南伸坊『モンガイカンの美術館』朝日文庫1997年5月1日 第1刷発行の再読を進める。 「マチスはNOWい」《 マチスの絵はひと言でいって、急いでいる絵である。なるべくいらぬことをしないように、ズバリをなんとかひとつ、パッとこういきたい、モタモタして…
南伸坊『モンガイカンの美術館』朝日文庫1997年5月1日 第1刷発行、昨日の「芸術はなんでもないものである」から少し引用。《 要するに、コムズカシイことをいって、眉間にシワのいった人が電灯をいっぱいつけた真っ白けな画廊屋さんちで「芸術です」といって…
南伸坊『モンガイカンの美術館』朝日文庫1997年5月1日 第1刷発行、前半は、「芸術は〇〇である」がずらりと並ぶ。 「芸術はUFOである」 「芸術はウソである」 「芸術は冗談である」 「芸術はキチガイである」 「芸術はリクツである」 「芸術はヤミクモで…
南伸坊『モンガイカンの美術館』朝日文庫1997年5月1日 第1刷発行で荒川修作とともに一際印象に残っている一編は「ビュッフェ氏は忙しかった」。冒頭。《 私は急いでいたのである。 》293頁《 会場につくと、私はひとわたり見て回ったのだが、異常に足早に見…
南伸坊『モンガイカンの美術館』朝日文庫1997年5月1日 第1刷発行を取りだす。これは元本(1983年、情報センター出版局)で読んでいるけど、誰かに貸したら戻ってこないので、文庫で買い直した。「まえがき」から。《 専門家の美術評論なぞクサルほどある。素…
昨日の寺山修司詩集『わけもなくさみしかったら』の本家、エーリッヒ・ケストナー『人生処方詩集』ちくま文庫一九九二年六月二十日第三刷発行を開く。栞が挟まれている78頁を開く。それから長い詩、短い詩いろいろある中で、ぐっとくる短い詩を少し。《 現代…
寺山修司詩集『わけもなくさみしかったら』サンリオ・ギフト文庫一九七六年十二月一日発行を取りだす。帯の惹句。《 もうケストナーはいないから もう一つの人生処方詩集です 》 最初の詩「ひとりぼっちがたまらなかったら」10頁の左頁には上野紀子の鉛筆画…
上條陽子さん、大学の先輩から届いた郵便物の返信を認める気力が湧かず、日が過ぎてしまった。やっと書く。一通は封筒。一通はレターパック。明日投函。細々とした家事を休み休みこなしていたらもう夕暮れ間近。にわかに昏くなる。師走・・・。明日は年賀状…
十一月も末。十一月一日が七十四歳の誕生日なので、なんか感慨がある。塚本邦雄の短歌が浮かぶ。 ほほゑみに肖てはるかなれ霜月の火事の中なるピアノ一臺 この歌についてネットではいろいろな解釈が見られる。私にとってはどの解釈も論及も、どうでもいいも…
画家の上條陽子さんから『パレスチナに光はあるか』と題するチラシが郵送されてきた。表面。 展覧会『上條陽子とGAZAの7人の画家と子どもたち』 会場:松本市美術館 市民ギャラリー 会期:12月19日(木)~22日(日) セミナー『戦争と闘う美術の力』 会…
『五木寛之エッセイ全集・第二巻─風に吹かれて』講談社を読み進める。 「森と湖に囲まれた国」冒頭。《 フィンランドは、私にとって忘れ難い国である。 》280頁《 シベリウスを聞くたびに、私は強国に隣接した小国の悲劇性といったようなものを感ぜずにはい…
『五木寛之エッセイ全集・第二巻─風に吹かれて』講談社を読み進める。 「百年よりも二十年」《 ところで今日は何を勉強したか。本日は、第五章、書籍について、というところをやった。 》257頁《 例えば、来客または目上の人に本を渡す場合、本のどちらを頭…
『五木寛之エッセイ全集・第二巻─風に吹かれて』講談社を読み進める。「わが新宿青春譜」結び。《 だが、あの頃の女たちはみんなどこかへ消えてしまった。〈モン・ルポ〉のマダムの顔も、もう忘れかけている。憶えているのは、あの二丁目にかかる都電のレー…
『五木寛之エッセイ全集・第二巻─風に吹かれて』講談社を読み進める。「わがダンス研究小史」。《 ところが、最近のGOGOになると、私は自分がすでに過去の時代に属する人間であることを感ぜずにはいられないのだ。 》183頁 GOGO。過去過去、だなあ。…
『五木寛之エッセイ全集・第二巻─風に吹かれて』講談社を読み進める。「奇妙な酒場の物語」冒頭。《 どんな男でも、それぞれ自分の青年期を彩る、いくつかの酒場を持っているものだ。 》159頁《 こがね虫は 虫だ 金倉たてた 虫だ なぜ虫だ やっぱり虫だ 》16…
『五木寛之エッセイ全集・第二巻─風に吹かれて』講談社を読み進める。「古い街の新しい朝」。《 何事によらず、調和とか、統一とかいった発想は、貧血の証拠であろう。昔ながらの土塀の間にはさまるブロック塀も、あれはあれで一種の対立感があって悪くない…
『五木寛之エッセイ全集・第二巻─風に吹かれて』講談社を読み進める。「鮨とカメラと青年」。《 私はヨーロッパで、白人の婦人たちが黒人の青年たちと腕を組んで街を歩いている風景をしばしば見た。道路にはみ出したカフェで白人女たちは、黒人の胸に頬をす…
読もうかな、と書斎の小卓の脚の間にずっとに立てかけたままになっていた『五木寛之エッセイ全集・第二巻─風に吹かれて』講談社 昭和五十四年十月十八日 第一刷発行を開いた。最初の一篇「赤線のニンフたち」を読み始めておっ、と注目。《 そのころ私は、池…
正午9.8℃。雨がしょぼしょぼ降る寒い一日。思い立って冬物を取りだす。半年あまり前に収納したけれど、こんなモノ、もっていたかな?という冬物が出てきて、買おうと思っていたので嬉しや、ボケたか~とぼやいたり。なんやかやと冬物を出し終え、コーヒーを…
昨夜胸騒ぎがして、故つりたくにこさんの夫、高橋直行氏に電話。元気な声が聞こえてきた。ほっ。ちょうどきょう、スペインの出版社から『つりたくにこ作品集』が届きました、と。スペインでは明日発売とか。嬉しい知らせだ。パリのポンピドゥー・センターで…
北一明、味戸ケイコ、内野まゆみ、そして奥野淑子、白砂勝敏の五人に共通する特質。知覚の果てのその先への眼差しが、制作行為に影響を与えているのでは、と思う。その先への眼差しとは、なんとも奇妙な表現だが、今はそう書くしかない。手探りの先にある何…
朝、きょうが最終日の展覧会へ行く?と訊かれた。午後の用事の前に見に行くことはできる。友だちはスマホを寄こして、会場の写真を見せた。絵は、いかんなあ、ジャクソン・ポロックのものまね、亜流だ。行かないと答えた。会場で画家に感想を言えないわ。デ…