『時のかたち』四

 ジョージ・クブラー『時のかたち  事物の歴史をめぐって』鹿島出版会2018年初版、「第四章 持続の種類」を読んだ。それまでの静かな語り口が、この章では ぐっと重厚な力強い口調になっている。内容豊富。その一端。

《 大衆の需要はそこにあるものにしか向けられていないのに対して、発明家や芸術家の関心は未来の可能性に向いている。 》 169-170頁

《 ときにはもうこれ以上何も付け加えるものがないほどに地図が完成しているようにみえる。そういう場合にも忍耐強い人物が現れ、その完成した状況に挑み、 いったん安定していた地図を開き、再度それを拡大するのである。 》 174頁

《 系統年代(systematic age)は、歴史上の位置に関する私たちの概念を拡張してくれる。 》 192頁

《 事物の持続期間は絶対年代と系統年代というふたつの基準で計測が可能である。 》 193頁

《 実際、芸術の歴史に一世紀や西暦の一○年単位に対応するものは何もない。 》 195頁

《 美術の歴史においていくつかの重要なシークエンスの持続が六○年間の二倍であることは、経験的にもたらされたものである。 》 199頁

《 ふたつの六○年間への分割、つまり形成過程とそれに続く組織的拡張を分けることは主に歴史的検討の蓄積から導き出されたものである。 》 201頁

《 言い換えれば、人が新しい形をつくり出すと、それらはある程度たった後世に対して無意識な命令のように働く。芸術作品それ自体がその命令を伝えるのである。  》 206-207頁

 それで連想するのが、坂東壮一の銅版画『海族』1973年への私の解釈。「ひとこと」から。

《 これはボッティチェリの名作「ヴィーナスの誕生」の遠いこだまと言えます。 》
 http://web.thn.jp/kbi/bando.htm

 昼前、源兵衛革中流部、桜並木の川底の茶碗のカケラなどを拾う。重くなってきたので終了。
 夕方、ブリュノ・ラトゥール『社会的なものを組み直す』法政大学出版局2019年初版帯付を近くの本屋で受けとる。『時のかたち』とは違って堅牢本で厚く、 私にとって”本”の手応え。こうでなくては。

 ネット、うろうろ。

《 熱視線=古代の伊豆(上)墓の主「イズの首長」誰? 》 伊豆新聞
 http://izu-np.co.jp/feature/news/20190120iz0004000001000c.html

《 『そもそも、東電が公表・認めているだけで、発災以来の作業員の死者が20人に達したことを、一体どれだけの主権者が把握しているだろう?
  しかもこの人数は、あくまで東電が公表・認めているものだけで協力企業の寮で就寝中に心不全で亡くなったような事例は、東電が把握する義務も仕組みもない。』  》 るーく
 https://twitter.com/ayaandmontora/status/1088086130820493312

《 ところが持病は不思議と良くなって僕は今も生きてる。天気予報でも70%の雨の予報でも雨が降らなければ晴天の現実しかない。では統計とは何か。 個別の生と関係ないなら、エビデンスという名のそれは医者と医学の責任回避のための無責任さでしかない。個別の生を否定し絶望を与える。それが「統計」か? 》  近本洋一
 https://twitter.com/you1chikamoto/status/1088289474570645504

《 医学はベイズ統計の活用を拒み続けている印象がある。ベイズはAIやビッグデータ解析に近年爆発的に利用され初めた確率理論で「主観確率」と呼ばれるように 個別事象の分析に向いているが利用に激しい反発もある。従来型「統計」により客観性と無責任さを結びつけた事態から利益を得てる人々は多いのだ。 》 近本洋一 
 https://twitter.com/you1chikamoto/status/1088289476495851520

《 「ごまかし上手の官僚オヤジ」の方がリズムがいいな。LEONみたいなノリでそういう存在をエロく提示する。「ごまかし上手の官僚オヤジは手堅いスーツで ここまでごまかす?!」みたいなファッション記事とか。 》 千葉雅也
 https://twitter.com/masayachiba/status/1088709764685516801

《 ぼくは将来、酒場で若い女つかまえてニヤニヤ「昔はな、コンビニでもエロ本が売ってたんじゃよ。」つってうざがられるジジイになりませんように。 》  ねむらー
 https://twitter.com/nemuraaaa/status/1087986825841512450