黒と白

 きょうは休館日。書くことはあるけど、気力がない。明日に持ち越し。

きのうの日曜日 相模原駅ビルにある相模原市民ギャラリーできょうまで催されている上條陽子展「厚紙平面大劇場」へ行ってくる。小田原駅まで東海道線各停、小田急線に乗り換え、本厚木駅で途中下車、ブックオフへ寄る。初野晴(せい)「水の時計」角川書店2002年帯付、文庫棚から吾妻ひでお「オリンポスのポロン2」ハヤカワコミック文庫2005年、剣持鷹士「あきらめのよい相談者」創元推理文庫2005年、矢崎存美「冬になる前の雨」光文社文庫2002年、同「ぶたぶたの食卓」同2995年、スタンリイ・エリン「九時から五時までの男」ハヤカワ文庫2003年、K・C・コンスタンティン「密告者求む」中公文庫、全部初版計730円。
 町田駅横浜線に乗り換え、相模原駅下車。上の階の会場へは行かず、ブックオフへ。ここでは坊主。昼ご飯をかけ込んでいざ上條陽子展へ。
 おお、会場の外側に等身大に近い人体を切り抜いた紙が150体!これは子どもたちの制作。幕を開けて中へ。見慣れた作品が並ぶその先に今回の目玉、無数の黒い切り紙でレイアウトされた「記録」シリーズが静かに在る。1990年代の光の作品にたいして、1999年のパレスチナ訪問以降の作品のテーマは影。その影のシリーズはパレスチナ難民のあまりの悲惨な現状を気の毒に思った彼女が、子どもたちの希望のために活動した様々な経験から制作されたもの。2002年、K美術館で催した上條陽子展」で私は「記憶の塔ー上條陽子の箱」を書いている。上條さんの作品はそれから黒を主調にした単色作品のインスタレイーションへ移っていった。今回の展示で、それは一つの頂点を極めたようだ。極めたと同時に、次の展開への予感も感じさせる、次へ開かれた作品となっている。私は政治的メッセージを伝える美術作品の大部分に違和感を感じる。美術作品として未熟なものが賞賛されていて、どこがあ?と疑問と憤懣を投げつけたくなることが多々あった。上條さんの作品でも、未熟というか、まだよく練り上げられていないな、と感じる作品が目につき、それまでは賞賛は控えていた。が、2003年の新宿パークタワーギャラリー1での「記録」で、おお、ついに抜けた、と思った。賞賛した。紙の切り貼りによる「記録」シリーズはさらに深化し、見た人でないと理解できないが、これは上條陽子の真骨頂であり、美術インスタレーションの新しいかたちを提示したと、断言したい。
 その黒のインスタレーションにたいして一点、白の切り貼りによるインスタレーション作品「血の花嫁」は際立って衝撃的だった。純白のウェディングドレスを模した作品の心臓の部分に赤いしみ。観覧した子どもたちも最も印象的な作品だったようだが、これには息が詰まるほどの静かな深い鈍い衝撃を覚えた。例えば、他の美術家たちのメセージ性のある作品群の展覧があったとして、それらに決して紛れることなく人々の心に深く沁み込んでゆく作品だろう。

 会場では知人女性と久闊を叙したり、秦野市在住の女性日本画家親子に遭遇したり、某公立美術館の学芸員に出会ったり、思いがけない出会いの連続だった。夕方から女性三人男性四人でささやかな打ち上げ。午後九時半帰宅。成果の大きい一日だった。