長いお別れ

 時折もどかしい記憶がある。昨日記した八つ木のぶ氏の作品で、ほう、とまず感心したものに、氏が谷間の渓流から喚起された造形があった。段々(二段の滝からの発想とか)の表面にゴルフ棒の先端のふくらみ部分を切って付けたような、茸のような突起物がいくつも出ている。それだけの作品だが、これはオモシロイ!と感嘆。で、そのときから連想が働いたのだけれどもつながらない。うんうん唸らず悶々ともしないで果報は寝て待っていてやっとワカッタ。漆工芸家亀谷彩さんの作品だ。彼女の作品(ハレノグケノグ)も、見たことのないオモシロイ造形だ。その印象でつながっていた。鉄⇔漆、重⇔軽の違いはあれとも、私にとっては「未知のオモシロイ造形」でつながっている。

 何組もの来館者に適当に応対し、レイモンド・チャンドラー「長いお別れ」ハヤカワ文庫をひたすら読み進める。閉館近くに読了。以前(昭和の時代だ)読んだ時よりも印象はぐっと深く心に刻まれたわ。名作だ。引用したい箇所はいくつもあるけど、それは明日に延ばしてきょうはこれだけ。
「彼女は髪をながくたらし、はだしの足に羽根のついたスリッパーをはき、日本の版画の夕陽の色の絹の部屋着をまとっていた。」49章
 川瀬巴水木版画か。訳文に古い言い回しが散見されるのが、村上春樹の訳ではそこら辺がスマートな言葉になっているのだろう。