大銀河の尻

  掌に落ちる冬天大銀河
 目覚めの床で浮かんだ句。どなたの句なのか、連想句なのか、駄句なのか(だろう)、門外漢なので不明。飯田龍太の死去に「一月の川一月の谷の中」が浮かんだ……そんなところからだろう。

 先だって面白そうだから買った山田五郎「百万人のお尻学」講談社+α文庫、意外や意外すごく面白かった。「お尻と写真の変態史」といったお約束の章もあるけど、驚嘆したのが「第2章 お尻の西洋美術史」。お笑いと学術が見事に合体されている。古代ギリシャの「力尻」から中世、ルネサンスバロック等を経て20世紀のポール・デルボーの「死霊尻」まで、尻の描写で西洋美術史を語ってしまうんだから驚いた。それもじつに簡明に。これほど解りやすい歴史解説は、私には初めてのこと。大好きなデルボーに尻を描いた絵があったかなあ、というくらい気づかなかったわ。デルボー美女の白肌と乳房にぞっこんの私には、お尻は目に入ってこなかった。そこを目ざとく見つける山田五郎ってテレビでよく観るけど、略歴には
上智大学を卒業。在学中にオーストリアザルツブルグ大学に留学、西洋美術史を専攻する。」
 やはりねえ。アングルの「ラ・グランド・オダリスク」について「トルコ尻」と評し、以下の言葉で結ぶ。
「フランス美術院に君臨する古典派の巨匠としてのアングルの『品格』が、リアルな官能を拒んだのだろうか。その気取りが逆に、この作品に不健全でキッチュなエッチくささを与えている。」
 アングルといえば彼の「泉」について「赤瀬川原川の名画読本」光文社1992年で彼は書いている。その冒頭。
風俗営業の入口にぴったりの絵である。」
 アングルにたいして二人とも同様な見方をしている。山田の本は単行本初刊が1992年6月、赤瀬川の本は1992年11月。同時代性を感じる。