未知・無視・誤解

 昨日読了した木田元「反哲学史」『終章 十九世紀から二十世紀へ』から。
「ご注意いただきたいことの一つは、いまも申しましたように、後期シェリングや初期マルクス、それにニーチェの思想はけっして十九世紀を代表する思想ではない、ということです。」
「彼らの思想が再発見され再評価されるのは、今世紀も三十年代あたりになってからです。」
 まったく知られなかったマルクス(1818−1883)の「経哲草稿」、まったく無視されたシェリング(1775−1856)の後期思想、誤解にさらされつづけたニーチェ(1844−1900)の思想……。
 この例でいくと、K美術館が再発見・再評価(再ではなくただの発見・評価か)されるのは、早くて二十一世紀後半か。あるいは歴史の地層に埋もれてゆくか。孤独の営為はいつまで続く……続けられるか。

 『「幻影城の時代」の会』から丁寧にも収支報告が届く。3万8千円ほどの黒字。よかったね。でもこれには人件費が入ってない。人件費を考えたら……。凄い同人誌だ。編集スタッフを衝き動かした「幻影城」はそれ以上に凄い雑誌だった。そしてそれをほぼ一人で背負った島崎博という人がさらに凄い。もう一冊買うつもりが疾うに売り切れ。報告書には「現在、商業ベースを含めた増刷を検討中です。」
 買わずにいられるか。

 観ずにいられるか、今夜のNHK教育テレビ。アントニオ・ガデス舞踊団「カルメン」。ローラン・プティ振付のバレエ。寝不足になりそ。録画はしない。ひたすら観るのみ。