何を読んだのか

 木田元「現代の哲学」講談社学術文庫読了。再読だけれど、ずいぶん時間がかかった。この前は何を読んだのか。字面だけを追っていたんじゃなかろうか。平易な文章だけれども難解。二階へ昇って梯子が外れたような。わからないことがわかったということは、昔ほど馬鹿ではなくなったということか。それとも年齢とともにやっぱりオツムが老化したのか。廊下一筋。ああ。

 昨夜、逢坂剛「銀弾の森 禿鷹 III」文春文庫を本棚の、背が同じ薄青色の「燃える地の果てに(下)」文春文庫の隣に押し込む前にそれを取り出して何気なく解説を見ると、木田元だった。彼のミステリ好きから連想が働いて別の部屋の本棚から藤森照信の書評集「建築探偵、本を伐る」晶文社2001年を取り出した。山下洋輔「ドバラダ門」、山口昌伴ほか「和風探索」、赤瀬川原平「少年とオブジェ」、松山巖「うわさの遠近法」、三浦雅士「身体の零度」などなど、単行本を新刊で買っているけど未読の本がぞろぞろ。参ったなあ。既読の末井昭素敵なダイナマイトスキャンダルちくま文庫評から。
「大げさに言うなら、総合とうたいながら敷居を高くして守備範囲を狭めた"総合雑誌"の陰で、本当に時代を上から下まで右から左まで総合していたのはマンガ雑誌と左手雑誌だった。」

 毎日新聞静岡新聞朝刊に三島市の浄土宗林光寺の本堂起工式の記事。「千年は持つ建物を目指す」「総木造」建築で、来年十二月に完成予定。これを記したのには訳がある。三島市の佐野美術館が数年前、築40年を前に改築する話が持ち上がった。50億円をかけて300年持つ総木造の美術館を建てるという馬鹿げた話を、館長と顧問の設計士が吹聴し、二人の名前で静岡新聞社から本まで出した。その本を毎日新聞の読書蘭で取り上げ、えらく持ち上げた御仁がいた。あの記事、保存しておくんだったな。50億円をどこから捻出するの? こんな法螺話を! あきれた話だと声を上げたのは私一人くらいだった。話は立ち消えになり、耐震補強でお茶を濁し、誰の責任も問われずに終わった。
 なお、林光寺には大岡昇平「花影」、久世光彦「女神」のモデル女性のお墓がある。