幸運であって英知ではない

 昨日はブックオフ長泉店で新書文庫半額セール。半額棚から佐藤信夫「わざとらしさのレトリック」講談社学術文庫1994年250円、105円新書棚から太田忠司「維納(ウィーン)オルゴールの謎」祥伝社ノンノベル1994年、文庫棚から泡坂妻夫「花火と銃声」講談社文庫1992年、姫野カオルコ「A.B.O.AB」集英社文庫1998年、丸谷才一「遊び時間」中公文庫1981年、「対訳ジョン・ダン詩集」岩波文庫1995年、「ポケットジョーク集 15 芸術家」角川文庫1985年、総て初版、計562円。

 昨日、電車で読もうとカバンに入れたのは寺山修司「ポケットに名言を」角川文庫。行きの電車では景色に目を奪われていた。帰りの電車では寝ていた。本を開いたのは県立美術館で時間待ちしている時だった。半分ほど読んだなかで気に入ったのはこれ。「キケロ

  人生を支配するのは幸運であり、英知にあらざるなり。

 人生を振り返ってつくづく実感。笑ったのはこれ。「チャンピオン」

  ボクシングは奇妙なスポーツだ。おなじこと
  を街中でやってみろ。たちまち逮捕される。

 昨日県立美術館を囲むように茂っている森の小道を歩いたとき、思い浮かべていた言葉がある。一昨日の毎日新聞夕刊、飯嶋和一「晴れても降っても」で紹介されていた「星の航海術をもとめて──ホクレア号の33日」青土社についての一節だ。
「『見る』『感じる』『知る』という人間の能力だけで、自然からのサインを解読し、赤道越えの長い航海を乗り切る。」
「空と海だけの世界で、古代の船人と同じく、全知全能をつくして自然から出ているサインを読み解き、自分の位置と行く先とを見つけ出してゆく。」
 これは「自然」を「美術作品」に置き換えても言えることだと思う。美術鑑賞とはこういうものだと思う。
 戸田ヒロコさんからブックカバー個展のお誘い。

 ブックオフ長泉店で三冊。丸谷才一「どこ吹く風」講談社1997年初版帯付、「このミステリーがすごい! 傑作選」宝島社1997年初版帯付、石坂洋次郎「霧の中の少女」講談社石坂洋次郎文庫1978年初版、計315円。石坂洋次郎文庫は文庫版より一回り小さい「ブチ・ブックス」。知らなかった。