惜別

 萩原朔太郎の詩集「青猫」1923年刊の「序」から。
「詩はいつも時流の先導に立って、来(きた)るべき世紀の感情を最も鋭敏に触知するものである。されば詩集の真の評価は、すくなくとも出版後五年、十年を経て決せられるべきである。五年、十年の後、はじめて一般の俗衆は、詩の今現に居る位地に追ひつくであらう。即ち詩は、発表することのいよいよ早くして、理解されることのいよいよ遅きを普通とする。」
 これは芸術作品一般に通じることだろう。しかし、最後尾の周回ランナーが、じつは先頭だったということや、先陣を切って走っていると思われたランナーが、じつは一周遅れだったということもある。芸術作品と時代との距離の測量はじつに難しい。

 埋もれた作品の発掘と再評価・再検討は、歴史学・考古学だけでなく、美術史にあっても常に謙虚になされなければ、後世から失笑を買うだろう。K美術館の基準はどう評価されるだろう。K美術館もいつまでも存続するわけではない。常に存亡の危機を迎えている。でも、今はまだ閉館する時期ではないと考えている。必要がなくなるか、運営費が底をつくか、どちらかの理由で閉館するだろう。まあ後者だろうなあ。

 三島市立公園楽寿園の大型遊具が、老朽化で近々撤去されるという。豆汽車に乗れるのは今のうち。

 ですぺらが閉店。一度も訪問できなかった。

 今夜は北海道へ戻る知人女性の送別会で行きつけの店ソウルノートへ。彼女のアパ−トでみんなで鍋を囲んだ思い出が駆け巡る。