身震いする八月

 いかにも梅雨の天気が続いている。今朝方小雨が降ったので徒歩で来ると、厚い曇天は薄雲りから晴れ間に。でも富士山のほうは分厚い雲に蔽われて白い壁のよう。
 何もかもが白い靄のなかで動いているような日々だ。時間はすっ飛び、空間はずれてゆき。混沌〜カオスとはかくの如きか。
 それにしても偶然性と必然性の境界が曖昧だ。会いたいと思う人はその翌日にはふっと微笑を土産に来館。昨日なんか、昼前に市川直二郎氏が三島在住の女性画家にも八月の展覧会への参加を打診したいと、私に電話番号を聞いたが、まだ連絡していないその画家が午後五時半に来館、ちょうどその時に市川氏からアメリカ人の若い女性作家を連れて午後六時にこちらへ着くという電話。会いたいという人同士がなぜか会ってしまう不思議。八月の展覧会は、そのような偶然の出会いがじつは必然だったということが記憶される歴史的事件になるかもしれない。なるといいなあ。

 フランス人画家マークが、紙に描いた作品をどっさり持って市川直二郎と来館。写真コラージュ作品何点かをを北一明氏の陶彫作品のガラスケースに貼る。ユーゴスラビア紛争をテーマにしたコラージュと北一明氏の反戦作品とが交響する。これは成功。このまま展示することにする。茶碗の展示ケースには、小さな絵を添わせてみる。これまた面白い組み合わせだ。これもこのまま展示続行。
 八月の展示はK美術館が身震いする展示にしたいと思っているけど、うまくいきそうだ。