再会

 昨夜、就寝前に小さな書庫で本を眺める。これが精神の沈静によく効く。新潮文庫宇月原晴明(うつきばら・はるあき)「信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス」を手にし経歴を何気なく見、おおっと震えが走った。そこには「評論集『ワードウォーズ──言語は戦争する』」。まさか。気づかなかった。書斎にある永原孝道「WORD WARS 言語は戦争する」沖積舎1995年を手にした。個人出版の冥草舎主から面白いよ、と恵まれた本だ。本文65頁には栞が挟まっている。当時ここで挫折。文章の速度に追いつけなかった。巻末の堀切直人の解説「トラとウマの再会」を読むと、当時なぜ読み進められなかったか理解できた。1980年代90年年代、私は思想から遠ざかっていた。浅田彰中沢新一も私には全く無縁だった。それがこの解説でよくわかった。今ならこの本も興味深く読了するだろう。そうでなくてはカッコ悪い。

 毎日新聞昨夕刊、渡辺裕「考える耳」のお題は「行き過ぎた『独創性』重視」。見出しは「『変えないこと』の効用見直しを」。
「ごく自然に機能していた『ワンパターン』や『マンネリ』が否定的に捉えられるようになる過程は、一八世紀末から独創性の美学が台頭し、新奇性や個性の地位が高まるのと並行している。注文主の要求に応じて仕事をする『職人』であった画家や作曲家が、『無からの創造』を行う神にも似た能力を具えた『芸術家』として新しい社会的ステータスを確立する動きでもあった。」
「芸術だけの話ではない。新しさや独創性ばかりに目を向け、そこから外れる要素を悪であるかのようにみなしてしまうことは一種の『近代病』ともいえる」からだ。」

 午前中は、九月に来る視察の下調べで来た三人を水辺に案内。蓮沼川にはカルガモの親子。ヒヨコのあまりの可愛さに四人、足が止まる。自宅で昼食後美術館へ。きょうも何人も来館。若い女性は二階で制作に励んでいる。自宅は部屋が狭くて大きい絵が描けないというので、では二階で描くように提案。即乗ってきた。アーチスト・イン・レジデンスみたいだ。