26日「NOIZ」二十四日目

 昨日買った利根川真紀・編訳「女たちの時間」は、副題が「レズビアン短編小説集」。「深くて複雑な女どうしの物語の数々」。この惹句から松浦理英子の小説集「ナチュラル・ウーマン」を連想した。これは衝撃的だった。福田和也は「作家の値うち」で書いている。
「同性愛といった枠組みは別として、かくも切なく、しかも真摯な希求を表現した作品は存在しない。」
 最初の「いちばん長い午後」の冒頭。
「寝返りを打って脚を伸ばすと、腿の下に生暖かい湿り気を感じた。探った手の先に血がついて来た。私のものではない。昨夜遅くやって来て黙ってベッドにもぐり込んだ夕記子の血だった。」
 女性の生理ほど男にとって理解できないものはないだろう。生理から五木寛之の初期の小説「幻の女」を連想、昨夜再読した。デパートの年間売り上げ競争に逆転勝利するために、新開発された生理日を先延ばしできる薬を、年末商戦時に生理を迎える店員たち(彼女たちは生理休暇をとる)に使わせようとする経営者側と対立する女性店員側との攻防劇。最後の場面で(幻の)女の腿から一筋の血が流れるのを語り手の男は見る。
 生理の管理かあ、タイヘンだなあ、としか言えない私。そんな感想から三十余年。世の中変わったと実感したのはコミュニティー情報誌「南大分マイタウン」八月の号の連載、衛藤真理「ラベンダー(更年期専門)外来」のお題は「月経を止める方法」。
「長年に渡る女性ホルモンの研究は月経を全面的に調節できるほど進んできています。」
 以下略すけれど、技術の進歩に驚嘆。それに伴って倫理も進化しなくては。

 きょうはまた暑いのに来館者が三々五々。よく来てくださるなあ。感謝感謝。そしてきょうもまた展示替え。よく替わっていくわ。