「NOIZ・2007」二十九日目

 初秋の風。いよいよ明日で終わりだ。パソコンを開くと匿名の方から一通のメール。
「2回ほど以前一般入館していますが、今回の企画は一度にいろいろな作品が見れてすばらしかったです。それもところ狭しと目いっぱい展示されているのがとてもいい。次回の展示を期待します。」
 ありがとうございます。「高校の文化祭のノリだね」と言う人もいる。そうならないようにしたつもりだけれど、そう受け取られるだろうとは予想していた。いろいろな感想、いいも悪いも直接間接耳に入ってくる。でも、メールでの感想はこれが初めて。はてさて、次回はあるのか? 考えてません。

 日録というのはその日のことをその日のうちに記してしまうものかしら。私なんぞ明くる朝、ああ書くのを忘れていたと思い出す。一晩たつと昨夜まで覚えていたものは消去され、別の事柄が浮上している。昨日は、美術館入口でアクセサリー店を時折開いているヒッピースタイルの白砂勝敏氏に、沼津市の庄司美術館の事務局長が声をかけ、来年そこで品物を展覧(売らない)することになった。白砂氏、オドロク。世の中何が起きるかわからない。

 「思い出す」といえば。一昨日の毎日新聞朝刊コラムは「先日86歳で亡くなったエドワード・サイデンステッカー」の思い出。川端康成の小説の翻訳について。
「ある研究者が川端作品の中の『思う』という言葉を、サイデンステッカーさんがどう英訳したか調べたことがある。『思う』は『慕う』や『思い出す』など実にさまざまな意味に使われるからだ。調べたら何と29種類もの動詞が使い分けられていた」

 午後二時、自宅へ戻り、源兵衛川の臨時清掃へ。今回は中国浙江省のテレビ局の取材。清掃風景の取材後インタビューに。綺麗な中国人アナウンサーと英語で話していると、遠くで打ち合わせをしていた中国人ディレクターが、私が中国語を話すと勘違いした。まあ、話した内容は、歯の浮くようなお世辞と褒め言葉。彼女、ニッコリ。午後五時過ぎに美術館へ戻る。虹の美術館の元館長本阿弥清氏が現代美術について熱弁を奮っている。