日は沈みまた昇る

 毎日新聞昨夕刊、田家秀樹「70年代ノート 新宿・フォーク・深夜放送」は新宿西口広場。
「『地下広場』という当時製作された記録映画があることを知った。今年の『東京国際映画祭』で上映されるという。今月25日、渋谷bunkamuraル・シネマ1だ。」
 この市販されたビデオテープが手元にある。
「万国博・安保条約改定を目前に控えて、あつくもえる1969年。若者の街・新宿西口・地下広場に、突然出現したギターをかかえたフォーク・ゲリラ達。小さな集まりはみるみるうちに熱っぽく話し合う市民の大きな広場となった……」添付のチラシから
「毎週土曜日にやってきた彼らの周囲には自然発生的な人の輪が生まれ、ゴールデンウイークのころには数千人に及び、西口広場は巨大な歌声喫茶のようになった。」田家秀樹
 その現場に大学一年生の私もいた……。ビデオに私は映っていないけど。熱い時代だった。
 添付されたコピーの朝日新聞1993年8月21日の記事。
「つかの間の解放区 23年ぶりに上映」
「十月の山形国際ドキュメンタリー映画最'93(山形市主催)で二十三年ぶりに日の目を見ることになった。」
 他の添付コピーで上映までのいきさつをシネマ・ド・オルフェの山下信子女史が綴っている。結びから。
「今の若者たちは、政治にはまったく無関心で自分の個人的な幸福しか眼中にないようだ。しかし、だからこそ伝える意味があるのではないか。映画は映されて初めて生きてくる。古いものでも映画は、いつも現在形で、スクリーンの向うから、その時の今を、私たちに体験させてくれるライブな表現なのだから。」
 山下信子さんは、我が家に泊まって16ミリフィルムで映画を撮っていったこともあった。また、京都の彼女の仕事場に泊まった時には彼女に京大西部講堂を屋根裏まで隈なく案内してもらった。彼女に夫馬基彦の小説「風の塔」を送ったら、モデルを知っていると返事がきた。高田馬場で催された上條陽子個展のオープニングパーティに知人を連れていったところ、夫馬基彦氏は「越沼君、なぜ彼女を連れているんだ?」と質問してきた。「彼女は早稲田大学のミス仏文科だったんだぞ」。美女と田舎者との組み合わせが理解不能だったようだ。同級生だったらしい彼女に夫馬氏は久闊を叙していた。十年以上前の思い出だ。