夜のテレビ

 私が注意しているテレビの美術番組はNHK教育「日曜美術館」「美の壷」「劇場への招待」、TBS「世界遺産」そしてテレビ東京たけしの誰でもピカソ」。これらの中から興味を引くものを視聴する。昨夜は「誰でもピカソ」を視聴。この番組は私の知らない人を紹介するので目が離せない。昨日は新鋭ダンサー TAKAHIROを紹介していた。サラリーマンを辞めてニューヨークへ行き、アポロシアターのダンスコンテストで9週間を勝ち抜くという、マイケル・ジャクソンもできなかった前人未到の偉業を達成した人。「全米を震撼させた驚異の身体能力」とテロップが入ったけど、同意するわ、そのダンスを見れば。ビートたけしは、ダンスが「あそこまで進化するのかなあ」と述べていた。番組では「ダンス王子」と呼称していた。
 その後は教育テレビ「劇場への招待」で「シェイクスピアソナタ」を少し観る。伊藤蘭の演技を観る。「ランちゃ〜ん!」と言うのはチト恥ずかしいな。

 昨日の朝日新聞は「秋の読書特集」で「翻訳新世紀」。やたら評判がいい若島正ナボコフ「ロリータ」新潮文庫について沼野充義が書いている。
「ただし、この機会に力説しておきたいのは、大久保(康男=引用者注)訳が(特に改訳された新潮文庫版は)世間で言われてきたほど悪いものではなく、むしろプロの上手な訳であって、流麗ともいえる訳し方さえあちこちに見うけられるということだ。」
 一安心。書評では旧訳が何もかも悪訳であるように書かれていて、旧訳で読む気が失せていた。やれやれ。
 奥泉光カフカ「変身」の翻訳について書いている。
「翻訳とは、外国語の異質なシステムにある言葉を日本語に移しかえるという、元来無理な作業をする過程で、日本語そのものを批評し、また日本語による表現の可能性を押し広げていく営みでもある。事実、日本語はそうやって鍛えられてきた。異質な言葉や思想の異質性が、親しみやすさと引き換えに批評の牙を抜かれたのではつまらない。」
「何でもやさしいのがいい、という風潮があるけれど、翻訳は決してそうではないだろう。」
 同感同感。なべて旧訳は悪いという風潮があるけれど、リニューアルした家がそうであるように、一見お洒落で見通しはよいけれども、薄っぺらな感じは否めない。音楽のクラシックやジャズでは当たり前だけれども、古い時代の演奏でも新鮮なのだ。結局駄目な新訳は消え去り、名訳は生き残るってことか。