夜の摩天楼

 毎日新聞昨夕刊、「テリー伊藤の現場チャンネル」のお題は「黒川紀章さん」。
「『建築物なんて、そもそも、この地球上になかったものだよ。人間が勝手につくったんだからね。山を崩し、木を切って建物を作ってきた人間として、自然と建築物と人間が、もっとうまく共生する世の中を作りたいんだ』
 黒川さんは晩年、よくそう言っていた。それが共生新党の原点なのだ。」
 その主張はいいんだけれど、実際はどうなんだろう。彼の設計した建築物を観ると、見上げたもんだぜ、とブツクサ言いたくなる。彼の主張と現実の建築物とに乖離を感じてしまう。
 そんなことを思いながら山内昌之「歴史の想像力」岩波現代文庫2001年を読んでいてこんな一文に出合った。
「『平和を愛する』現在のアメリカ人と『進歩と技術』に富んだその『コスモポリタン』な文化をつくるためには、数千万ものアメリカ原住民とブラック・アフリカ人を滅亡させ、すぐれた『インカ』文化を地上から根絶やしにする必要があった。シカゴ、ニューヨークそして『ヨーロッパ』化された他のアメリカ諸都市の摩天楼の雄姿は、非人道的なプランターがせめ殺した『アメリカ・インディアン』と黒人の死骸の上に、そして破壊されつくし煙がくすぶる『インカ』都市の廃墟の上にうちたてられたのだ」279頁
 以上はモスクワの監獄で処刑されたタタールスタン共和国スルタンガリエフ(1892-1940)の言葉。
「『アメリカ』を『ロシア』に、さしあたり『インカ』や『アメリカ・インディアン』を『イスラーム』や『中央アジア人』などに置き換えてみると、スルタンガリエフの告発の意図がおぼろげながら浮かび上がってくる。」
スルタンガリエフの姿勢は、アメリカの論壇やアカデミズムで言論の自由を享受しながらリベラルな民主主義を冷笑的に懐疑する世紀末のアラブ系比較文学者サイードの屈折したコンプレックスよりもはるかにすがすがしい。」278頁
 サイードに何かしらいかがわしさを感じていた身には、やはりね、だ。
 それにしてもテレビ画面に映し出される夜の摩天楼は、私には「魔天牢」としか見えない。そこは天国ではなく逆立ちした天獄
 自然へ自らが立ち還ってゆくような建築物に出合いたい。

 午前中は茨城県古河市からの視察60人の相手を三人で務める。薄化粧の富士山がじつに美しい。午後二時美術館へ。来週からの安藤信哉展のための墨絵十点を自宅から運ぶ。