長すぎる

 知人に!と?からなるメールを送ったら、短かすぎるとお小言を頂戴したので徳川家康の正式の呼び名を綴ったところ、面倒で読まなかった、と返事。まあ、長すぎて面倒といえば面倒だ。以下がそれ。

  従一位太政大臣近衛大将右馬寮御監淳和奨学両院別当氏長者征夷大将軍

「じゅういちいだじょうだいじんこのえのたいしょううめのりょうぎょかんじゅんなしょうがくりょういんのべっとうげんじのちょうじゃせいいたいしょうぐん」
 と読むそうだ。長すぎるというとルナール「にんじん」を連想するが、日本では鰻は喜んで食するのに蛇は嫌われる。面白いものだ。かく言う私も蛇を食べたくはない。横山大観水墨画絵巻「生々流転」は四十メートルを超える。東京国立近代美術館でそのなが〜い絵巻を観たけど、長かったという記憶。野間宏「青年の環」全五冊は二十九歳の時に二週間ほどで読破したが、原稿用紙六千枚位と記憶する。いつか読もうと思っている瀧沢馬琴「南総里見八犬伝」は原稿用紙六千四百枚になるという。一八四八年八十二歳で亡くなった馬琴の辞世のことば。

  世の中の厄(やく)をのがれて元のままかへすは天(あめ)と地(つち)の人形

 馬琴は生涯で四百八十種の著述をものにしたという。たいしたものだ。厄(=役に掛けてある)をのがれて、は本心から出たことばだろう。

 ブックオフ長泉店で二冊。村上陽一郎「文明のなかの科学」青土社1994年2刷帯付、吉本隆明「わが『転向』」文藝春秋1995年2刷帯付、計210円。