均一化と空疎

 昨日は新宿駅東口に出て紀伊国屋書店あたりを歩いた。道は変わらないけれど街は驚くほどに変貌したいた。銀座へ瞬間移動したのかと思ったほど。新宿がこんなにつまらぬ街に変貌してしまったとは。一吐息。地下鉄で六本木駅へ。ここは渋谷か?と錯覚するほどの変貌ぶりだ。新宿・渋谷・六本木・銀座、巨大繁華街が同じような空間、空気になっている。三十年前の際立った違いの活力が懐かしい。多分、平成になり資本の論理がそれぞれの土地を一気に地ならしし、街の顔を均一化させてしまった。そんな街の後ろ側にぽっかりと空いた空間に国立新美術館があった。西口から外周を廻って正面口へ。外観を観て、中へ入って内側からガラスの壁面構造を見上げる。曲面と斜面と平面の交差している構造が、私には他所他所しい。まあ、私は他所者だが。黒川紀章のこの設計は失敗では? と思った。生動を感じられないガラス曲面。勤続疲労を早々と感じてしまうエントランスの床板。吹き抜けの巨大な空間は、天井が夜になると青天井のように感じられるのは面白いが、それだけ。展示場の空間は、大型絵画がずらりと展示されているにもかかわらず、エントランスや通路空間同様に、空疎な印象。空虚を埋め合わすだけの作品の充実が乏しかっただけかもしれないが。賑やかなレセプションには顔を知っている有名画家が何人もいたけれど、私に声をかけてきたのは当然だが、知人の編集者だけ。こちらから声をかけたい画家もいなかった。早々と退散、午後七時半に帰宅。
 紀伊国屋書店服部まゆみ「ラ・ロンド」文藝春秋2007年を購入。味戸ケイコさんが表紙を描いている佐々木丸美の本は見当たらなかった。ムンク展は観られなかった。

 早坂類さんの17日のブログに「先日、遠方に住む友人が欲しがっていた美術展のカタログを手に入れに、六本木の国立新美術館へ。」とある。フェルメール展でも行ったのだろうか。そのブログから引用。

   ちょっと強引できらきらしているものに、女性って飛びつく。
   淀んでいるものからはそっと忍び足で離れてゆく。
   なんて残酷で、そして奇麗。

 ブックオフ長泉店で二冊。姫野カオルコ「すべての女は痩せすぎである」集英社文庫2004年初版、米澤穂信夏期限定トロピカルパフェ事件創元推理文庫2006年初版、計210円。