ぬるい雨

 今朝は春先の雨を思わせる温い陽気。ヌルイ気分のときには何かをしようという意欲は減退、昨夜のことをなんとなく思い出す。
 昨夜は雨の中、源兵衛川生コン流出事故現場の工事再開に立ち合い。午後十時帰宅、それから今後の企画展のパンフレット版下を制作。夜更けて久保田麻琴「世界の音を訪ねる」岩波新書を読みながら添付のシシングルCDをかける。うーん、この本の文章と同じくノリが今ひとつだ。副題に「音の錬金術師の旅日記」とあるが、彼は錬金術師でしかない。結局は金まがいのものしか創出できなかったのが錬金術師。久保田麻琴が制作にかかわった、インドネシアのデュオ、チャンプルーDKIのCD「 CAMPUR DKI 」1990年の冒頭曲は、私の大好きな「コーヒー・ルンバ」(9日にも書いている)のインドネシア版「 COFFEE DANG-DUT 」。ダンドゥットは当時のインドネシア大衆音楽を席巻したダンス音楽。面白いのだけれども、やはり今ひとつ抜けが悪い。錬金術師の限界か。

 昨夜は知人との電話で本の装丁に話題が及んだ。デザイナーにとって本の装丁はあこがれの仕事だという。で、風呂上りに本棚をあちこち見て廻る。印象に残っている装丁は少ない。古いところでは都筑道夫「やぶにらみの時計」中公文庫1975年初刊の真鍋博くらいか。パソコン横の机上にある河盛好蔵「人と付き合う法」新潮文庫花森安治の装画は面白い。拳銃を持った男とナイフをかざした女が握手している。狂気の沙汰だ。

 冷たい前の降る静かな午後。ぽつぽつと本を読む。家作、金棒引き、一閑張り、ショタレ本など見慣れないことば。こんな意味かあ。