記憶の手触り

 「字がデカイ暦まず買う老い始め」
 これは先週お付き合いで、お題「カレンダー」に投稿した拙句。50歳にならない知人は読みづらいからと、字の大きいカレンダーを購入。私は57歳、もう初老だなあと思うけど、眼鏡をかけたことはなく、老眼鏡もまだ要らない。
 40年前高校生の時、当時刊行が始まった日本短篇文学全集全48巻筑摩書房を購入した。これは活字が大きく、新書版の大きさでハンディと謳われ、ミステリ作家北村薫は編集内容を賞賛している。年を取ったときの用意に購入したのだけれど、今も本棚に鎮座している。用意がいいといえばそうだけど、で、初老を迎えた現在重宝しているかというと、別に〜、だ。こんなことを書いたのは、昨日触れたジェイムズ・P・ホーガン「星を継ぐもの」創元SF文庫に活字の小ささを感じたから。これは初刊が1980年。1983年の毎日新聞はこの活字よりもさらに小さい。よくぞこんな小さい字を読んだと思う。たった四半世紀の間に活字をめぐる状況は一変した。ハヤカワ文庫の活字はずいぶん大きくなったし。毎日新聞も大きくなった。でも、創元文庫は変らない。
 ハヤカワ文庫では人気のある文庫本を大きい活字に組み替えて再刊している。以前読んだ文庫本とは活字の大きさが違っていると、本文は同じなのになにかしら違和感が残る。印象深かった読書の記憶は、手にした本と活字まで一緒になって記憶されているものだ。だから、上記日本短篇文学全集で読んだ稲垣足穂の作品は、他の体裁の本で再読しても印象が違う。同じ本で再読すると、昔の感動が鮮やかに甦る。忘れ得ぬ初めての体験は、その状況まるごと一緒くたで記憶されているものだろう。そんな記憶を追体験できるのは、おそらく本だけではあるまいか。で、結論。面白かった本は捨てられない。未読本は当然捨てられない。本は増え続けるばかりだ。

 ブックオフ長泉店で二冊。舞城王太郎好き好き大好き超愛してる。講談社2004年初版、トム・フランクリン「密猟者たち」創元コンテンポラリ2003年初版、計210円。前者は「本文使用活字」として字体の表記がある。カラー図版もある。文庫化されたら印象がずいぶん変るだろう。その舞城も参加している「文学の触覚」展、気になるなあ。