演奏・演奏化

 毎日新聞昨夕刊に「全く無名であったロシア出身」でアメリカ在住のピアニスト、セルゲイ・シェプキンの「初来日公演が、東京のすみだトリフォニー大ホールを超満員に」した記事。その理由は彼のバッハ「ゴルトベルク変奏曲」のCDが「グールドの伝説の演奏からの呪縛から逃れた初めての『ゴルトベルク変奏曲』」で『ゴルトベルクの世界が一新された』からだという。売り切れだったそのCDはディアハートというレーベルが輸入して20日から発売。
 グレン・グールド晩年の名演「ゴルドベルク変奏曲」1981年録音はLPレコードで聴いているけど、魅力をまるで感じなかった。最近は聴いていないけど、印象が劇的に変るだろうか。
超弩級の名作には、どうやら遭遇のタイミングが人生に用意されているらしい。」清水良典「小説家になるための100冊」より
 となると、話が変わってくるけど。バッハ「平均率クラヴィーア曲集」はレコード芸術・編「名曲名盤300」1993年ではグールドの演奏が一位、リヒテルの演奏が二位だけど、私はリヒテルを断然支持する。そんなわけでこの話題は気になる。

 ピアニスト、フジ子ヘミングのリスト「ラ・カンパネラ」のCDが何年か前に爆発的に売れたけど、私は野島稔の演奏のほうが素晴らしいと思う。彼女には情念で押し切るところを感じる。彼には理智の透明感=構成美を感じる。これも好みの問題かも知れないが、そこには演奏とその演奏にいたる過程=演奏化との差異の問題があるように思う。

 ブックオフ長泉店で二冊。赤澤かおり/編「つくる人─そのくらし」メディアファクトリー2005年初版、川成洋・他/編「ガルシア・ロルカの世界」行路社1998年初版帯付、計210円。前者は贈呈用。所用で来館した知人女性にさっそく贈呈。喜ばれる。