小説を読む

 昨日の斎藤美奈子「趣味は読書。」ちくま文庫2007年は単行本で読んでいるけど、新たに六冊の書評が追加されているので買い。
「女子高生を主役にした、文学と呼ぶにはあまりに安直なケータイ配信小説、Yoshi『Deep Love アユの物語』」299頁
 に清水良典「小説家になるための100冊」(「この文庫が好き! ジャンル別1300冊」朝日文芸文庫 1998年)を連想した。
「インターネットで小説も読まれる時代が来ようとしているが、コンピューターのモニター画面には、ぎっしり文字の詰まった長編は合わない。モニターサイズの新しい短篇(というより、断章)の形式が開拓されるはずだ。これから書く人は、そういうところに目配りするべきかもしれない。」
 大当たり〜。

 ジェイムズ・ジョイス「ダブリン市民」読了。「若い芸術家の肖像」では味わえなかった小説を読む味わいが詰まっていた。この講談社版世界文学全集では全十五編のうち九編が選ばれている。どの短篇もジョイスの並はずれた力量を見せている。これが二十代前半に書かれたものとは。脱帽。「二人のいろごと師」なんか、現代ミステリ選集に入っていても何ら不思議ではない。

 村上護「きょうの一句」新潮文庫のきょうは中村苑子の句。
「人妻に春の喇叭が遠く鳴る」
 中村苑子は伊豆修善寺(現・伊豆市)に生まれたが、修善寺町に顕彰した気配がない。同じ修善寺が終の住処だったイラストレータ内藤ルネ、隣の中伊豆(現・伊豆市)が終の住処だった抒情画家蕗谷虹児、小説家倉橋由美子も地元では殆ど無名。なんだかなあ。