デッサンを読む

 朝、一瞬、沈丁花の香りに包まれた。
 きょうから新しいグッズ=お土産を販売。今までは本と絵葉書だけだったけど、100円200円の微品を新たに追加。すべて手描きの一点もの。昨夕、グラウンドワーク三島 の仕事でボイスキューの小坂真智子さんらが二階でナレーションの録音をした後、一階の片隅のこまごました品物を見て、かわいいと手にとり、買っていかれた。 300円の売り上げ。私の作ったキャッチコピーはこれ。

  「掌上の微笑」
  内野まゆみの
  小粋な掌品集

 丸谷才一「ゴシップ的日本語論」文藝春秋2004年収録、木田元三浦雅士との鼎談「思想書を読もう」から現象学の哲学者フッサールの話題。

丸谷 フッサールの本の書き方も、そういうところが感じられますね。何回も何回も、同じことを、少しずつ違えて言う。前言を翻すようで格好悪いとか、まずいとか一言も言わない。ただただ真実に迫りたいという気持ちで書くわけでしょう。
木田 本当にそうです。話がさっぱり前に進まない。僕はジャコメッティのデッサンを連想したんですけどね。
丸谷 ジャコメッティのデッサンは、同じ所を同じ調子で少しずつずらしながら何度も線を引いて、そうしているうちに矢内原伊作の首が現れるような、ああいう感じですね。僕は、フッサールのああいうところが立派だと思う。

 ジャコメッティのデッサンはよくわからなかったが、この会話で納得。そういうことか。
 沼津市の庄司美術館で展覧会をしている竹井連氏から恵まれた自費出版文集「遙かなる日々」を読む。「裸婦を描く」から。
「描くとはその中から決定的な一本を見つけ出し、画面に定着させることだ。」
 その一本の線にたどり着くのが難しい。

 ブックオフ長泉店で二冊。山田風太郎「怪談部屋」出版芸術社1995年初版、ローレンス・ブロック「死への祈り」二見文庫2006年初版、計210円。