3月 3日(月) 休館日

 春眠暁を覚えずというけれど、目が覚めれば午前十一時を廻っている。あれあれ。
 午後、源兵衛川最上流部のいずみ橋からパンをちぎって川へ落とす。好き勝手に泳いでいるハヤが一斉にわらわらと寄ってくる。パンの争奪戦。パン片はあっちこっちへ動き回る。隣の宮さんの川では川岸にパンを落とすと、4メートルほど先の対岸に置物のように休んでいたカルガモ四羽がわっさわっさと泳いでくる。これまた夢中で争奪。笑える。下って三島梅花藻の里でも池のハヤにパンを落とす。ここでもわんわんと集まる。パンを加えてあちこちへ逃げるハヤ。何匹もそれを追う。笑える。夕方はがしゃがしゃと雨。

 昨日の毎日新聞に小野正弘編「日本語オノマトペ辞典」小学館沼野充義評。「擬音語や擬態語(総称してオノマトペ)」の魅力とは。
「第一に、オノマトペは創造的だ。」
「第二にオノマトペは時代と共に変化する生き物だ。」
「そして、最後にオノマトペは日本語独自のものだ。」
「これほど体系的に発達し、国民の言語生活において重要な部分を果たしているのはおそらく日本語だけである。なにしろ、民族の歴史上最大の惨事でさえも、『ピカドン』という一語でずばりと表現できるのだから。」

 浅野鶴子編「擬音語・擬態語辞典」角川書店1984年再版から。
「『雨がしとしと降る』と『しょぼしょぼ降る』のちがいは、現実の雨の降り方にあるのではなく、見る者の心理のちがいにあるのだから、日本語を母国語とするもの以外には理解が困難である。たとえ、説明によって理解は出来ても、感覚的につかむのは至難のわざであろう。」
 絵画の表現でも同様なことがいえるかもしれない。