百一冊目の本

 NHK静岡ローカルの朝のニュースで二度、昨日の取材が放送された。ヨカッタネ、と知人から電話。
 美術館へ来る前に三嶋大社へ桜見物に行く。午前九時、神前結婚の新郎新婦が鳥居にいる。晴天のもと、桜は八分咲き。よき日だ。十時に開館。さっそく年配の来館者。テレビで知ったと言う。それから何人も来館。問い合わせも。NHKテレビさまさま。

 丸谷才一「挨拶はたいへんだ」朝日文庫の「和田誠いろいろの会での挨拶」は「百一冊目の名著のこと」。
「二年ほど前、もの好きな男が五人、集まって、『近代日本の百冊の本』といふのを選びました。明治維新から昭和の終りまでに出た本のなかから、いま読んでおもしろいといふことを条件に、良書百冊を選んだのです。」
「何回か集まって、百冊を決めたのですが、最初の会合のときにめいめいが、特に気に入つてゐる本をあげました。」
「そのときわたしは、昭和五十二年、和田誠『倫敦巴里』をあげて、これがどんなにすばらしい本であるかを説明した。すると、わたしの短い演説が終つたあと、一拍置いて、誰かが言つたんです。
『うん、あれはぼくもとてもいい本だとは思ふ。しかし百一冊目の本ぢゃないかな?』」
「和田さんの『倫敦巴里』、殊にそのなかの『雪国』パロディ集はじつにいい出来ばえですね。」
「大変な藝であり、すごい才能です。」

 で、和田誠「倫敦巴里」話の特集・刊を本棚から取り出す。じつに愉快なパロディ本だ。川端康成「雪国」を他の作家の文体模写した文章にはただ脱帽。一部引用したいが、やめておく。

 ブックオフ長泉店で二冊。「ゴードン・スミスのニッポン仰天日記」小学館1994年9刷、吉田精一「文学概論」1998年11刷、計210円。