海外の長編小説ベスト10

 昨日の幸せについて考えた。人のみならず自然環境との絆の強さが幸せ・幸せ感につながると思う。

 季刊「考える人・春号」新潮社の特集は「海外の長編小説ベスト100」。新聞にベスト10が紹介されていた。
1位 ガルシア=マルケス百年の孤独」 既読
2位 プルースト失われた時を求めて」 未所持
3位 ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟」 既読
4位 セルバンテスドン・キホーテ」 未読
5位 カフカ「城」 挫折
6位 ドストエフスキー罪と罰」 既読
7位 メルヴィル「白鯨」 既読
8位 トルストイアンナ・カレーニナ」 未読
9位 カフカ「審判」 未読
10位 ドストエフスキー「悪霊」 既読

 「失われた時を求めて」「ドン・キホーテ」は長すぎて敬遠していたけど、いつか読む。「アンナ・カレーニナ」は忘れていた。そんなに人気があるとは。カフカは再挑戦する予定。この十作、教養として必要な小説ということかな。「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」は二十代に読んでいるけど、五十歳を過ぎて読むと、その世界観の広がりと深さ=規模の巨大さに気づき(晩生なもので)たじろいだ。深い、恐ろしく深い、と感じた。訳文でさえうなのだから、原文ではどうなんだろう。
 齢を重ねないと実感、理解できない文学があると思ったのは、幸田露伴の短篇「観画談」。幻想小説か怪談といったものだが、流麗な文章に載せられて一気に結末へ。
「大器不成なのか、大器既成なのか、そんな事は先生の問題ではなくなったのであろう。」
 大正十四年、露伴五十八歳の作。私は五十七歳。無理だなあ。まあ、死んでも大成しない破格の大器でありたい。それこそ高望みというものか。この短篇でも、
「晩成先生はただもうビクビクワナワナで、批評の余地などは、よほど喉元過ぎて怖いことが糞になった時分までは有え得はしなかった。」
 といった可笑しみがさりげなく組み込まれていて、緩急自在な筋運びといい、露伴の闊達な名文やオノマトペは、翻訳ではどこまで味わえるだろう、と思うと、日本人に生まれてまずは幸運だった。