当意即妙

 会話で当意即妙の人を見ると、ほとほと感心してしまう。田舎人と都会人の違いをつくづく思い知る。話し相手と別れてから「ああ、あそこではこう言えばよかったのに、遅かった」と残念に思うことはしょっちゅう。
 新聞記事でも似たようなことがある。一晩経って翌日ならまだしも、数日過ぎてから話題にしてもなあ、と気が引ける。でも、そんなことで躊躇していたら書くことが無くなってしまう。で、毎日新聞20日の書評欄のことを。「この人・この3冊」は「柴田元幸・選 藤本和子」。藤本和子アメリカの小説家リチャード・ブローディガンの翻訳者であり研究者。
「現在、英米文学を翻訳している人たちに、直接的・間接的にもっとも大きな影響を与えた翻訳者といえば、間違いなく藤本和子だろう。村上春樹や岸本佐和子の訳文も、ひょっとしたら彼らの創作の文章すらも、かりに藤本和子が現れなかったら、いくぶん(たぶん悪い方に)違ったものになっていただろう。」
ブローディガン「芝生の復讐」新潮文庫に、
「藤本翻訳の現在の到達点を見ることができる。」

 静岡市にあった虹の美術館を運営していた本波氏が来館。展示中の静岡市出身の小泉癸巳男(きしお)をご存知無い! オドロイタ。氏が知らないってことは、静岡市では無名ということだ。県立美術館で展示しない理由がわかった。収蔵もしていないのだろう。