地元民は知らない

 三島市内の河川一斉清掃で源兵衛川へ。ホタルやホトケドジョウのために、草などをなるべく採らないようにお願いしてまわる。

 静岡新聞連載、酒井忠康「美術本の一隅」は「エミル・ベルナール著『回想のセザンヌ』(岩波文庫」。
 1904年、著者はセザンヌ(1839〜1906年)に会いたくて画家の住むエクス(アン・プロヴァンス)の駅へ降り立った。
「しかし古風なエクスの町に着いてもセザンヌの名を誰も知らない。散々、訪ね歩いてようやく町役場で住所を教えられる。そして見かけの粗末な家の入口に立ち、呼び鈴の紐を引くのである。」
 晩年のセザンヌでさえ、地元では全く無名。昨晩、味戸ケイコさんと電話で話したのだけれど、彼女もまた(東京に住んでいるが)地元では無名に近い。どこでも、地元(出身)の名を挙げた人には、その人が生きている間は冷淡であり、無関心(を装う)らしい。三島出身の文学者大岡信についても同様だ。

 ブックオフ長泉店で三冊。岸田秀「フロイドを読む」青土社1992年7刷、村上春樹東京奇譚集」新潮社 2005年初版帯付、池田弥三郎「銀座十二章」旺文社文庫1980年初版、計315円。「東京奇譚集」は贈呈用。
 池田弥三郎「銀座十二章」、大島昭の解説から。
「『東京っ子』ということばは著者がはじめて使用したことばである。」

 本屋で本を注文したついでに岩波文庫解説目録2007年をもらう。イギリス文学の項、ラフカディオ・ヘルン「骨董」の翻訳者は平井程一。同じく「東の国から」とラフカディオ・ハーン「怪談」「心」の訳者は平井呈一。呈と程。単なる誤植なのか、改名したのか。ささいなことが気になる。別人てことはないよなあ。それにしても、品切れ絶版の多さよ。