弔辞

日が昇る前から蒸し暑い。知人女性は3キロ痩せたと。私は夏痩せはしていない気配。体重計、今年はまだ乗っていない。乗る予定もなし。

 タモリの故赤塚不二夫への 弔辞がネットで話題に。私が死んでも弔辞を読む人、いるのかなあ。こりゃ不謹慎か。

 「村上春樹河合隼雄に会いにいく」岩波書店初刊1996年を読んだ。示唆に富むことばが特に河合隼雄に相次いだ。

「体制の裏がえしの反抗ではなく、『ほとんど何もないところに、自分の手でなんとか道を拓いて、僕なりの文学スタイル、生活スタイルを築き上げて』いくこと。そこから新しいものが生まれるし、それは図式的に考えた反抗へのコミットメントが、頭だけの線香花火的に消えてゆくのに対して、『自分なりのスタイル』を築くために、自分全体をあげてのコミットメントをしなくてはならなくなる。そしてそこから自分の『作品』が生み出される。」40頁

「ぼくがずるさと言っているのは、もう少し違う言い方をすると、人間の思想とか、政治的立場とか、そういうものを論理的整合性だけで守ろうとするのはもう終わりだ、というのがぼくの考え方です。」61頁

「矛盾を恐れないとか、統合性ということはもうあまり問題にしない。バランスは問題にするけれども…… ということをわたしはいま考えているんです。」64頁

「ぼくの仮説ですが、物語というのはいろいろな意味で結ぶ力を持っているんですね、いま言われた身体と精神とか、内界と外界とか、男と女とか、ものすごく結びつける力を持っている。」119頁

「人間の根本状態みたいなものはある程度普遍性をもって語られうるけれども、その普遍性をどう生きるかというところで個性が出てくる。」145頁

 ブックオフ長泉店で二冊。真鍋博「異文化圏遊泳」中公文庫1985年初版、「戦後短篇小説再発見2 性の根源へ」講談社文芸文庫2001年3刷、計210円。