夏は盛りだけど

 先だって王紅花さんから恵まれた第三歌集「夏の終わりの」砂子屋書房2008年を詠み終えた。日常を現象学的手法で見つめ表現した作品が選ばれているように感じた。日常をありのままに見、それを喜怒哀楽や詠嘆ではなく、ありのままにすっと言葉に移す。ことばでは簡単だけれども、実際はとても難しい方法だ。正面から見据えた日常を、斜め後ろから観察者の視点で記録するような。見慣れた日常がちょっとずれた様相を表す。ちょっとずれただけで、どきっと明暗反転する日常。

  カーヴ・ミラーがカーヴの先を映しをり陽に輝る道は空へのぼりゆく

  訃報の回覧板持ちて夜更けの道行けばマンホール水音響く

  コンクリート製の汚れたペンギンが嵐の夜の公園にをり

  夜半に覚めて見ればくらやみの奥にある鏡に月の光が遊ぶ

  眠る人眠らざる人載せて夜の空行く 巨大旅客機の灯が

 「夢──三十夜」から。
  中井英夫と佐藤通雅が酒を酌みしあと霙降るくらき浜辺を帰る