コンペティション→競争

 昨日の静岡新聞朝刊「論壇」は、ニューヨーク大名誉教授佐藤隆三。
アダム・スミスが提唱する自由放任の市場競争は、英国的制度と文化を背景とした自然発生的なもので、二千年以上の歴史を持つ日本に同化しているか否かは疑問である。」
小泉政権の経済政策は、一言でいえば、アングロサクソン的競争の表層的模倣で土壌の異なる日本への移植を試みたものだ。」
「米国政治とその経済政策は一握りの上層部に自由放任の場を与えると同時に、普通の人には安定的な生活を保証することを主眼としている。」
小泉政権は米国とは逆に大企業間の競争よりも、普通の人に競争のツケを押しつけた。これが格差を生んだ。日本は五輪的熾烈な競争に勝てない普通の人でも平穏で安定的な生活ができる社会を目指すべきだ。」

「日本語の競争は、昭和の初めに英語の『コンペティション』を福沢諭吉が『競争』と訳したことに由来する、と指摘したいからだ。それ以前にはこの概念はなかった。」
 福沢諭吉は明治三十四年(1901年)二月三日、数え年六十八歳で没した。あれえ。

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