声に出して読みたくない日本語

 斎藤美奈子「文学的商品学」文春文庫を読んだ。相変わらず愉快だ。題名どおり視点がユニークで、芸が細かい。笑える。
 「第6章 いかす! バンド文学」から。

 換言すれば、私たちはことばに「意味」を読んでしまうのです。『新宿鮫』や『ゴッド・ブレイス物語』に出てくる歌詞も、音として「聞け」ばさほど気にならないのでしょうが、詞として「読む」と「声に出して読みたくない日本語」に見えちゃったりする。そこが詩と詞のちがいです。

 前者は大沢在昌の、後者は花村萬月の小説。さすが斎藤美奈子、スルドイ指摘だ。読者にとても親切だ。解説で佐藤尚之が書いている。
「一読、部下にしたいと思った。斎藤美奈子を、である。」
 その気持ち、ワカル。理由を縷々書いているが、うんうんワカルワカル。

 「声に出して読みたくない日本語」があれば、「声に出して読めない日本語」もある。永田守弘・編「官能小説用語表現辞典」ちくま文庫だ。重松清が解説で書いているが、うんワカル。
 「アイスキャンディ、いけない坊や、回転ドリル、きのこ肉、巨大な侵略者、キングコブラ、」
 「『若鮎』と『魔性の凶器』が同じモノを指しているなんて、官能小説以外にはありえない。」

 ブログを巡回していて「病気になる本」!? よく見ると「気になる本」だった。気になる古本がブックオフ長泉店にあったけど、この蒸し暑さ、手ぶらで早々に戻る。

  おそるべき君等の乳房夏来(きた)る  西東三鬼

 を連想する暑さ。この句、言葉に出して読めるかなあ。