ネット配信は音楽の背進?

 日付がきょうになった深夜、NHKテレビ「東京カワイイTV 」を視聴。ゴスロリ特集。想定の範囲内の番組だった。渋谷のマリアの心臓がちょっと紹介されていた。最近行ってないなあ。それにしても、嶽本野ばらが無視されているのが納得いかん。NHKの事情もあるだろうけど。

 毎日新聞昨夕刊、渡辺裕「考える耳」、題は「増える音楽ネット配信」。見出しは「レコード文化支える『モノ』への執着」。

「レコードは、音だけでなく、様々な要素からなる複合的な『モノ』としての存在感をもっている。ライナーノーツももちろんそうだが、ジャケットの写真やオビのキャッチコピーなども、レコードを形作る欠かせない要素である。レコードを聴く体験は、単に音を聴くだけでなく、それらの文章を読んだり、ジャケットを眺めたりといったことも含めた一種の『総合芸術』体験とも言えるのである。」
「ネット配信の出現による変化も興味深いところだが、ここでの変化が、文字情報や画像情報が切り捨てられ、『音楽そのもの』だけが取り出された形で流通するという方向になっているのは皮肉なことである。」
「映像や文字情報と融合した『マルチメディアの時代』になってきている、という通常のイメージとは逆に思えるからである。」

 You Tube で音楽画像をよく観るけれど、それは歌手、演奏家の画像を確認したいから。ここは金鉱山だ。掘り起こせはうれしい画像がワンサカ出てくる。今朝通販で注文したモロッコ出身のベテラン歌手サミ−ラ・サイード SAMIRA SAID(SAMIRA SAEED )の今年の新作画像まであるんだから。彼女、アルファベット表記には先のように二種類ある。インターネットに縁がなかった頃、その表記に同一人物か?と悩んだことがあった。なにせCDによって顔がまるで違うのだ。この新作CDジャケットやミュージック・ビデオを観ると、本当にあのベテラン歌手かあ?と目を疑ってしまう。そう、歳をとらないのだ、彼女は。年齢不詳ということにしておこう。こんなことでいろいろな歌手、演奏家を検索すると、たちまち一日が過ぎてしまう。いけないいけない。人生は短いのだ。

 ブックオフ長泉店で三冊。霞流一「首絶ち六地蔵カッパノベルス2002年初版、江國香織・文/宇野亜喜良・絵「カエルの王さま」フェリシモ出版2008年初版、山口雅也・編「山口雅也本格ミステリ・アンソロジー」角川文庫2007年初版、計315円。「カエルの王さま」は文庫本サイズのハードカバー。