上田三四二の短編集「祝婚」新潮社1989年を読んだ。私小説からエッセイ?まで晩年発表の五編を収録。「祝婚」と「詩人」に惹かれた。「祝婚」から。結婚披露宴の場面。
おしなべて味(あじは)ひふかき人の生(よ)をあゆまんとする今日より君は
を祝辞に引用して「彼」は思う。
「人の生」は「人の世」で、「生」の時間軸が「世」の空間軸を自覚の中に取入れるとき、人間は一生という時間と世間という空間の交わるところにみずからの位置を見出す。
人間とは人と人との間がらだが、その間がらのもっとも微妙なもの、「味ひふかき」ものが夫婦というものではないか。
なるほど。でも未婚の身には実感が湧かない。
きょうは細切れに来館者。人の顔を覚えるのがまことに苦手で、芳名録に書かれたお名前を見て、ああ、と改めて挨拶したり。困ったことだ。健忘症から老化へ、かな。