遅れた話題だけれど。毎日新聞9日(日)の読書欄。浜田久美子「森の力」岩波新書への藤森照信評から。
「7章、8章は、地域産の木材を使う建築家たちの姿が登場する。地域の山から伐り出し、地域の製材所で挽き、地域の大工さんが使う。現在、世界でこんな幸せな状態が、昔にくらべれば縮小したとはいえまだ続いているのは日本だけ。だいいち、21世紀の現在、木材を建築の柱や梁に自由に使えるのは、日本、北米、北欧の三地域だけ。」
保阪和志「小説、世界の奏でる音楽」新潮社への張競評から。
「だが、優れた作品はむしろ作者が迷走しながら書かれている。著者のことばを借りれば、人間が芸術を作るのではなく、芸術によって人間が作るようにしむけられているのだ。」
「著者の見解にしたがえば、文学作品の善し悪しの見方はだいぶ変わる。小説はなにがしかの意味を読者に伝えるためのものではない。いい作品はむしろ『意味』を脱臼させ、読者を『意味』から離れた世界に連れ出す。逆に小説とは何かをいうための表現形式だと思いこむと、作品の独創性には気付きにくい。」