グウェン・ジョン

 昨日、女性画家がグウェン・ジョン Gwen John という未知の女性画家の画集を持ってきた。ロダンの彫刻のモデルをした人でもあるこの画家の絵はサムホールや葉書大の小品が多い。印刷図版のほうが原画よりも大きいほど。この画家の絵をとても好きだと言う。つつましい絵だ。ヴィルヘルム・ハンマースホイといい、つつましい絵が二十一世紀の潮流の一つかもしれない。というよりも、インターネットに代表されるデジタル世界に人々が疲れを感じてきているというのが正解の気がする。昨日の毎日新聞朝刊、鹿島茂「引用句辞典 不朽版」、「本と読書」で、そこに触れている。

「では、本と読書だけが与えることのできる力とはなんなのか?」
「第一の要点。すべての本は、潜在的に、ひとりの人間を全人格的に占領する可能性を秘めているということ。」
「第二の要点。すべての本は、右のような全人格的な占領の潜在可能性を有するが、しかし、そうしたパワーを持っている本は、幸いなことに、一冊だけとは限らず、かならず『複数』存在していること。」
「この全人格的占領の『複数性』こそが、読書という体験のもう一つの勘所なのである。」
「で、その連鎖的読書のあげくに生まれるのが、エリオットのいう『批評性』である。」
「情報はネットで得られるが、批判力、判断力は読書でしか養えないのである。」

 「インターネットはグローバルブレイン」と言われるが、違和感を感じていた。そういうことだったのか。腑に落ちた。二○○八年はアナログ回帰、手触り肌触りへの回帰元年という気がする。「ポニョ」もそうだし。