昭和歌謡

 昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で二冊。大庭みな子「三匹の蟹」講談社1968年2刷箱帯批評集付、コリン・デクスター「悔恨の日」ハヤカワ文庫2002年初版、計210円。前者は発表当時「群像」で読んで深い衝撃を覚えた。以来いつか再読したいと思っていたが、機会が巡ってこなかった。セロファン付きのこの本、読まれていないんじゃないか? 四十年のタイムカプセル。

 毎日新聞昨夕刊、川崎浩「この1年 ポップス」。
「ただ、明らかになったのは、『配り方』『聴き方』の変質でしかない。『音楽』が変わったかについては何の吟味もされぬまま、慌ただしく、小室哲哉の逮捕、ゴールデンカップスのデイヴ平尾と『北国の春』の作曲家・遠藤実の死という事件を迎えたのだった。」
「小柄になったヒットの理由を、人は嗜好の多様化に求めがちである。だが、多様化の中でこそ、人心を一つに束ねるのがヒットである。要は歌に力がなくなっているのである。」

 一昨日の夕刊ではなかにし礼が「昭和歌謡ブーム」のお題でインタビューに答えている。

「善も悪も兼ね合わせる人間に語りかけるためには、歌の書き手も、善も悪も兼ね備えて語りかけないと、お互いの言葉は通じやしない。」
「僕ら作詞家は日本文学の末裔でであることを意識していた。だけど、今の歌には文学性がない。文学には薬もあるけれども、ほとんどが毒。作詞家が毒の表現方法を学んでいなければ、当然、毒のない歌になる。毒は言葉の魅力なんだから」
「専属作家やフリー作家が書いた歌謡曲も終わった。そしてニューミュージックも終わった。懐かしんでくれるのはうれしいけれど、時代は逆行しません。いろんなものが始まっては終わるんですよ」

 小雨なので徒歩で美術館へ。退屈男氏の日記。

「某ブックオフへ。「『性・性風俗』の棚に詩集が何冊か紛れ込んでいるのをよく見てみると、いずれも帯に『処女詩集』の文字。とりあえず二冊ほど救出しておく。」