耶蘇祭

 昨夕帰りがけにダグラス・アダムスを二冊。「宇宙銀河ヒッチハイク・ガイド河出文庫2005年2刷、「宇宙の果てのレストラン」河出文庫2005年初版、計210円。「英語で書かれた20世紀のベスト小説100」に入っていたので。

 昨晩デューナ・バーンズ「夜の森」国書刊行会1983年読了。なんとも読解困難な詩的小説。加藤郁乎(いくや)の詩のような。でもなんとか読み終えた。まあ文章を追っただけだが凄い小説であることはたしかだ。T・S・エリオットの序文から。

「『夜の森』はまずもって詩の読者の心に訴えるだろうというのは、それが小説ではないということではなく、あまりに優れた小説なので、詩によって鍛錬された感性のみがこの小説を全的に鑑賞しうるということなのである。」

 訳者野島秀勝の解説から。

「詩と見えるのは、あくまでも『書かれた』散文がゆきついた極限の一つの相貌にすぎない。」

「先ほど、『夜の森』の文体は日常現実に垂直に屹立しているといったが、より正確にたとえれば、それは日常現実の世界に対して垂直に落下する。」

昨日の毎日新聞朝刊、鹿島茂「引用句辞典 不朽版」の「ニュースピーク」(機能化言語)から。

「 機能化・能率化を目指した社会は、機能化・能率化言語としてのニュースピークを生んだが、しかし、そのニュースピークは逆にコミュニケーション機能の喪失をもたらし、いわゆる、語りえない『心の闇』を大量発生させる結果となったのである。」

 語りえない心の闇を語るためには「夜の森」の文体にまで突き進むしかない。そして、これを熟読することで、ニュースピークは瓦解し、心の闇を我がものとして捉える言葉を獲得することができるようになるだろう。

 福沢諭吉はクリスマスを耶蘇祭と呼んでいた。トルーマン・カポーティ「クリスマスの思い出」文藝春秋1990年を読んだ。村上春樹の平明な訳ですらすら読めた。