レコードプレーヤー

 僅かなお金を貯めてレコードプレーヤーをやっと購入。二十年前に買った製品の半分以下の値段。並べるとトヨタ・センチュリートヨタ・カローラほどの歴然たる差。付属品のカートリッジをそのまま使用すると、ありゃあ、スカスカの音だわ。カートリッジとカートリッジシェルを手持ちのものに交換、試聴。故障したレコードプレーヤーに較べ軽い音質だけれども、密度と艶が出る。これは住宅のリフォームと同じだ。鬱蒼たる重厚な世界から明るくて軽めの家へ。別のカートリッジに換えれば音質は重厚になるかもしれないが、ま、これはこれでいいか。アンプも接続不良が起きていて、これまた寿命が近いかも。機械は故障し壊れるものだとつくづく思う。わが身体だって左足が故障して、爪先立ちができない。午前中のグラウンドワーク三島の視察案内を終えて帰宅途中、ベンチに坐っていた知人がビッコ引いてる、とびっくりされた。自宅のポストには足の不自由な女友だちから郵送されたチョコの包み。陽気がバカ暑い!のでとりあえず冷蔵庫へ。すぐさま美術館へ。正午開館。

 しかし、二十年の歳月でアナログプレーヤーにもそれなりの進化が認められる。音質を落とさず廉価を維持するために、親切な機能を減らしている。レコード針は手動で上げ下げ。演奏が終了しても針は上がらない、などなど。カートリッジとシェルの交換で音質がすごく向上したということは、本体がしっかり出来ているということ。オーディオの趣味世界は魔界の迷宮。足を踏み入れれば踏み入れるほど周囲が見えなくなる。金をつぎ込めばきりが無い。つぎ込めばいいってものじゃあない。その見極めと切り上げ=引き返しが大事。それは美術の世界も同じだ。

 嵐の昨夜、ワクワクしてLPレコードをかけた。ギリシャの歌姫ハリス・アレクシーウの1987年のもの、ジョー・スタッフォード「JO+JAZZ」、井上陽水「二色の独楽」そして藤圭子「新宿の女」。いやあ、藤圭子のブッラク・アンド・ダークな声音には久しぶりに歌の魔沼へ引きずり込まれた。空前絶後かもしれない。三上寛山崎ハコもかなわないねえ。怨歌だねえ。黒いレコード盤の世界だ。それはどこかで味戸ケイコさんの鉛筆の黒に通じているかもしれない。それは昭和の刻印かも。