石原吉郎「望郷と海」ちくま文庫1990年は1972年の単行本初刊時、学生仲間の間で少し話題になって以来ずっと気になっていた。シベリアの極寒の収容所で八年間にわたって服役を強制された著者の石のような(褒め言葉)言葉は、私の想像力の限界を痛烈に思い知らせる。石。意思を石のようにして生きなければ帰還できなかった八年間。私の貧弱な想像をはるかに超えた経験だ。最悪の収容所が舞台の第一部は、石を飲み込むような読後感だ。悲惨極まりないけれども、それを乗り切ってゆく人間認識の力に、今を生きることを静かに後押しされる。坂口安吾が「堕落論」を発表した1947年、日本海の向こう側の荒涼たる氷の大地で一日を生き抜くことだけをひたすら考えていた人たちがいた。
第二部は詩について。「沈黙するための言葉」から。
「しかし、詩人が常に自分の作品の最終的な責任者であるかというと必ずしもそうではありまえん。作品のなかには作者が最終的に責任を負いきれない部分があるのがふつうですし、その部分は、読者にとっても作者にとっても難解な部分であり、しかもその部分によって作品全体が支えられている場合が多いからです。」
重要な指摘だ。これは詩のみならず、芸術作品全般に通じることだと思う。
「日本語を話す人びとの間に帰ってきた時、日本語はまぶしいくらい私には新鮮でした。」
ブックオフ長泉店で昨日は鳥飼否宇(とりかい・ひう)「中空」角川書店2001年初版、草野唯雄「クルーザー殺人事件」角川文庫1987年初版、きょうは歌野晶午「ジェシカが駆け抜けた七年間について」原書房2004年初版帯付、猪野健治「やくざと日本人」ちくま文庫1999年初版、計420円。