澄んだ風・澄んだ水

 時折小雨が降った昨夜、友だち三人を源兵衛川中流部へ案内。草むらに点々とホタルの光。足元の土には出たばかりのホタル。大いに喜ばれる。やれやれ。ホタル鑑賞の後は近くのファミリーレストランで歓談。50歳を過ぎると故障が出るねえと病気談義と引退後の話。まあ爺むさい。なんて言えない。この私は腰痛に悩まされている。はあ。澄んだ夜風が心地よい。

 昨日買った宇野信夫「しゃれた言葉」講談社文庫、広告の挟まっていたページから。

「濁った水は、底がわからないから、深いように見える。澄んだ水は、底がはっきり見えるから、却って浅く見える。」35頁

 私の心は澄んでいるから浅く見えるのかな。友だちからは「お見通しよ」と言われる。なんか違う気もするな。栞の挟まっていたページから。

芭蕉の詩はわからなかったけれど、その父親は、兜町をうごかす程の財をたくわえ、妾(しょう)をかこい、面白おかしい生涯を送って、今は世にない人である。
 芭蕉のこころをくみとることのできた友は、今は、六人の子を抱え、ヒステリィの細君になやまされ、気の毒な失意の日を送っている。」

 その芭蕉の句。

  憂き我を淋しがらせよ閑古鳥

 某富士山○○空港を連想したわ。