もっとも非ヨーロッパ的

 きょうも炎天の夏空。雲はどこに。

 ネット注文した篠田一士「日本の近代小説」集英社1988年初版函帯付が届く。送料込み1480円。定価3800円では当時手にしても見送っただろう。装丁は「日本の現代小説」と同じ吉岡実。並べて見ると色違いの兄弟本だ。布の装丁も手触りもいい。永く手元に置いておきたい二冊だ。その一冊、「日本の現代小説」を本の手触りを愉しみながら拾い読み。

「日本の近代小説は、人物像の目鼻立ちも、ろくざまできないうちに、眉の書き方がうまいとか、鼻孔のひらき具合がどうだとかということに心をくだいて、目鼻の本体をえがくことを疎かにしたきたようである。微細な部分の描写には、ひどく長けてきたものの、物体そのものの総体をえがくことには不得手というよりは、不勉強だった。」479頁

 島崎藤村の「夜明け前」は、「ひと捻り、ふた捻りした、厄介な作品で、ぼく流の言い方をすれば、『ヨーロッパ経験に触発された、もっとも非ヨーロッパ的な小説』ということになる。」497頁

 この引用から、私は安藤信哉の老年の絵を思う。1962年、65歳の半年にわたる初渡欧以後の絵にはもっとも非ヨーロッパ的な絵、日本的な絵としか、まずは言えない独特の風貌が生まれている。そのことは 作品論「自在への架橋」で触れている。

 ブックオフ長泉店で二冊。新井満「尋ね人の時間」文藝春秋1988年初版、有栖川有栖「ジュリエットの悲鳴」実業之日本社 1998年初版帯付、計210円。後者は依頼本。