もっとも非ヨーロッパ的な日本

 昨晩は、女友だち二人と灯籠流しへ。二人とも大いに喜んでくれてやれやれ。ヨーロッパのキリスト教徒やイスラム教徒は、この水に流す行事をどう感じるだろう。

 昨日ふれた安藤信哉の遺稿「写実ということ」(「安藤信哉遺作展」茨城県立美術博物館1985年収録)より。

「写実ということは見たまま、考えたまま、すべてをそのまま表現することを言うのであって具象も抽象もふくめて即自己そのものということである。」

「即無限の世界である、即一切がリアルである。自己とはなれて一切はない。」

 文章で書けば簡単だが、これを実作品で示すとなると大変だ。安藤信哉の遺作(水彩画 1982年)を前にして、ある造型作家は「この絵は時代を超えている」と絶賛。きょう来館された方もいいねえ、と。

 「生きていること死んでいること」から。

「千年前に作られた作品で、今日なお、その生命を持続しているものもあり、(略)数十年にして、その生命を終ったもの、更に廿年前に生れ、すでに死んでいるもの、それどころか、昨日生れて今日すでに死んでいるものなどが、むしろ、その大部分であることに思い至った時、背すじの寒くなるような思いがしたことである。」

「新しいということは、今日なお生きているということでなければなるまい、自分は新しく、最も先端を行くものと、自認しているものの中に、本当に、今日、その生命を保っているものははたして何人いるであろうか、朝に生れ、夕に死んで行く作品の如何に多いことかと思う時、エジプト、ギリシャ、奈良、唐、宋時代の作品の中に、今日、なお、その生命を持続していもののあることに思いついたり、その偉大さに、今更ながら驚き、芸術の進歩ということについて、あらためて考えさせられたことである。」