あまりに遠い

 開高健ピカソはほんまに天才か」中公文庫の美術エッセイには共感することばかりだ。違うな、というエッセイには出合わなかった。表題作から。シャルトルの大聖堂のステンドグラスについて。

「この有名すぎるほど有名な飾窓についてはスキラ版も繰りかえし見たし、ドキュメンタリー・フィルムも見ていたのだけれど、そのいずれもが何ひとつとして暗示もできず、教えもしてくれなかったのは、強健なゴチックの腕のなかにたくわえらえれた闇の深さであった。これあればこそ、その光と色の交響が生きるのだった。紙もフィルムもこれを再現のしようがない。」

「後年、たまたま広津和郎氏と何度も夜ふけまで氏の芸術談と文壇回顧談を聞かされるチャンスを持ったが、ときあって氏は絵画、彫刻、陶器、何を論じても、傑作といえるものにはおしつけがましさがないことがまず第一の条件なのだと、繰りかえし繰りかえし、ひとりごとのように呟いて、それとなく教示して下さった。この呟きを聞くたびにシャルトルのステンドグラスを思いださずにはいられなかったが、ユイスマンスがシャルトルだけにうちこんで書いた『大伽藍』の一節にまったく同じ評言が記されているのを読んで、いまさらのように感銘があった。それ以来、何を見ても、それが激情、綺想、爛熟、奔逸、テーマと描法が何であれ、究極的におしつけがましさがあるかないかをさぐることに小生の鑑識眼は赴くようになる。作品が "昇華"されているかいないかの一点はそこにあると思われた。」

 ……シャルトルはあまりに遠い……。