終着駅

 八月になっても梅雨。今は青空。まだ梅雨の中休み? 結城昌治「終着駅」中央公論社1984年初版を再読。この歳になると以前読んだときとは印象が違う。昨日読んだもりたなるお「真贋の構図」と同様、戦後の暗く深い厚みを実感。終章、敗戦後の過酷な時期を生き延びてきた初老の男は酔いが醒めて思う。

「 完全に死ぬとはどういうことなのか。完全に生きなかった者は、完全に死ぬこともできないでいるのか。しかし、完全な生などというものがあるのだろうか。」

 これだけ抜き出してみるとどうこういう文ではないが、それまで読んできた果てのこの独白は、私を戦後空間への深い思いへ誘う。結城昌治は昭和二(1927)年生まれ、もりたなるおは昭和元年(1926)年生まれ。最も多感な十代末は戦争・敗戦の真っ只中。その記憶が作品に色濃く反映されている。二十歳前後をどの時代に送ったか、が創造・創作にかかわる感受性豊かな人の人生観に大きな影響を及ぼすと思う。私は二十歳が1970年。1970年生まれのアラフォー世代は1990年。バブルの絶頂に二十歳を迎えた。世代間の人生観世界観は、かなり異なっていると思う。KY、空気が読めない、漢字が読めないくらいの差はあるだろう。しかし、その時代の象徴的な出来事の現場に居合わせた者は、同世代のほんの数パーセントに過ぎないだろう。私の場合、1969年はデモ参加とジャズ喫茶通いに明け暮れた。どちらもメディアの話題にはなったけど大多数の同世代には無縁のものだった。時代のトピックスで世代全体を語る愚は犯したくない。

 ブックオフ長泉店で二冊。有栖川有栖・他「大密室」新潮社1999年初版、横溝正史金田一耕助の帰還」光文社文庫 2003年4刷、計210円。