終着駅へ行ってきます

 きょうは雨雨雨。梅雨の終着はいつ? 宮脇俊三「終着駅へ行ってきます」新潮文庫1986年初版を読んだ。全国の国鉄(まだJRに変わっていない)私鉄の25の終着駅探訪記。私の行ったことのある終着駅はただ一つ、北海道の今は無き標津線根室標津(ねむろしべつ)駅。盲腸線、どん詰まりの終着駅に惹かれる。そこには何かしら哀愁漂う雰囲気がある……と思い込んでいた。そこから先は何もない。そこに人生の実相を感じた。いや、感じるために訪れた……んだったなあ。

「増毛は見るからに『終着駅』である。もうこれ以上は先へ進めません、といった風情で止まったディーゼルカーには哀れさがある。」42頁

 この本、山口文憲の解説がとびっきり愉快だ。冒頭。

「乗り物ぐるいといわれる人間のなかには、極端な船の愛好家がいて、病的な飛行機マニアと自動車狂がいて、そして常軌を逸した鉄道ファンがいる。」

「いちばん深刻な病気をかかえたひとたちはどれか、(引用者・略)確信をもって、それが鉄道ファンだと断言できる。」

 それから持論を展開してゆくのだけれど、そこがじつにユニークで愉快。まずは鉄道ファンは「『鉄道コンプレックス』にとりつかれた乗り物マニアのことである。」と断じる。

「反対に、鉄道の拘束こそが喜びであり、快楽の源泉であり、その魅力のすべてということになるのだろう。」

 宮脇俊三の「最初の力作『時刻表2万キロ』」。「白地図に赤線で描き入れた既乗線区が徐々に日本列島のかたちになってゆくのをながめて、ひとり悦に入るという印象的な一場面がある。」

「ここを読んで私がすぐ思い浮かべたのは、いつだったか雑誌の取材で訪ねた 、さる『緊縛師』の先生のことである。」

「鉄道のほうには『スジ屋』というのがいるそうだが、こちらは『ナワ屋』というべきだろうか。完乗志願者にとっての白地図にあたるのが、この先生の場合は、女のひとの肉体なのである。(引用者・略)あの『彼女の古びた山陰本線』という宮脇さんのジョークを借りれば、この人物こそ『因美線』『万字線』方面の専門家にちがいない。」

 解説はさらに支線へ入り……「赤く染めた『軌道』が錯綜する」

 地元ではJR三島駅から出ている伊豆箱根鉄道駿豆線修善寺駅、JR吉原駅から出ている岳南鉄道岳南江尾駅がある。乗るんだったら岳南鉄道。風情ある小さな車輌に沿線の風景も楽しい。ブックオフだって駅前にある。岳南江尾駅はどこか侘しさ漂う。また乗りたい路線だ。