「密室の奇術師」

 午後一時半から三時半まで、源兵衛川中流の堆積した土砂をグラウンドワーク三島のメンバーと学生たち三十人近くで運び出す作業に汗を流す。午後四時再び開館。

 山前譲・編「本格推理展覧会 第一巻 密室の奇術師」青樹社文庫1995年初版を読んだ。大正十四年の江戸川乱歩から平成四年の有栖川有栖まで九編が収録されている。その時代を色濃く反映した風味豊かな短篇が収録されている。密室トリックよりもその時代の雰囲気が味わい深い。平成のミステリに昭和のような深い味わいは醸せるだろうか。

 昨日の引用で静岡新聞十日月曜日の記事を思い出した。結城昌子「企画展に人が集まる理由」から。

「東京・上野の東京国立博物館で開かれた『国宝 阿修羅展』に、そして同じ上野の西洋美術館での『ルーヴル美術館展』におのおの80万人を超す人が足を運んだという。」

「一方で、昨年、東京六本木で2館同時開催された『ピカソ展』はいい展覧会だったのに人気にならなかった。なぜ? ピカソが今の人々の心のツボにうまくフィットしなかったのだろう。」

「人々は20世紀の天才で難解なピカソより、はるか昔の絵画や仏像のクラシックなドラマの方を心地よく感じているということなのだろうか。」

 それも一理あるだろうけど、ここでは開高健ピカソはほんまに天才か」中公文庫1991年初版から表題のエッセイの結びを。

「導火線、起爆剤、触媒、あきらかに彼はその役をみごとにやってのけたし、予知能力は絶大であったらしいが、本質的には一人のアジャン・プロヴォカトゥール(扇動者)にすぎなかったのではあるまいか。それでなければあの未昇華の仰々しさやおしつけがましさの説明がつかないのではあるまいか。」1984

 20世紀の騒乱は遠く去った。ピカソのような扇動者ではなく、静かなる21世紀の先導者となるべき20世紀の美術家は誰なのだろう。私にとっては20世紀後半でいえば、味戸ケイコさんであり、安藤信哉氏であり、呉一騏氏であり、坂部隆芳氏であり、深沢幸雄氏であり、北一明氏である、と言ってしまいたいが。これではK美術館の収蔵品になってしまうわ。