「今日の芸術」

19日(水)臨時休館します。

 昨日の続き。パブロ・ピカソを挙げると岡本太郎を連想する。芸術はバクハツだ、と一世を風靡したらしいけど、結局それだけ。バクハツしたのか、しなかったのか、なんだかわからないうちにお亡くなりになった。というわけで、彼の制作物には殆ど魅力を感じない。流行歌手でいう一発屋、芸人でいう一発芸だったと言いたくなってしまう。けなしているのではない。それで名前が顔が売れたのだから吉とすべきだろう。芸術家としての岡本太郎を高く評価していないけれども、目利きとしては高く評価している。彼は美術批評家としての優れた眼をもっていた。その岡本太郎光文社文庫から再刊された「今日の芸術」1954年初刊が面白い。文庫で加えられた横尾忠則の序文の結び。

《 ピカソがかつてこんなことを言った。
 「一枚の傑作を描くよりも、その画家が何者であるかということが重要である。」
 岡本太郎のあの時代のあの作品がとかいう専門家がいるが、全くナンセンスである。
 「岡本太郎は何者であるか」太郎さんほどピカソの言葉がぴったりの芸術家は日本にそういないのである。》

 岡本太郎ピカソにあこがれていたのだろう。「青春ピカソ」という本もあるし。解説で赤瀬川原平が「この本はじつに明晰な論理をもって書かれている。」と書いているが、同感。赤瀬川は岡本太郎に特徴的な言葉を強調文字書いている。

「 ぶっつかる はげしい意思 常識を否定し のり越えて ギラギラ 裂け目 とことんまで 身ぶるいするような 」

 まさしく20世紀後半、日本の高度経済成長期に見合った言葉だ。赤瀬川は冷静に書いている。

「前衛芸術は誰もがやるもっともふつうのスタイルになることで、どこかへ蒸発してしまったのである。」

 これが再刊されたのが1999年。まさに20世紀を振り返る本、葬送する本となったわけだ。では、21世紀を草創する本は?